2010/10/23 体操中継の世界基準を考える

昨夜、世界体操選手権の個人総合を見る。
内村航平が圧勝、世界2連覇を果たす。
新ルールになって個人総合に挑む選手の負担はケタ違いに増した。
難しいD難度、E難度を詰め込まなければ点数が上がらないからだ。
団体戦をフルに闘った内村の体力は限界に来ているだろう。
しかし、ライバルを大きく離しての優勝、賞賛に値する。
   


オリンピックをメダル争奪戦としてとらえると個人総合は割に合わない一種目に過ぎない。
負担が大きい割に得るものは種目別と同じメダル一つだ。
(そういう観点ではサッカーやバレーボールなどの団体球技も同じ)
なぜ個人総合か?
これはやっぱりオールラウンダーが尊敬されるからだと思う。
跳馬吊り輪とでは使う筋肉が全く違う。
ゆかや跳馬が得な選手は“脚が強い”選手と呼ばれる。
現在のようなルールで、高いレベルで両方をこなすのは至難の技だと思う。
でも、それを成し遂げてこそジムナスト、体操選手なのだ。
それ体操という競技の肝、それがオールラウンダーの矜持。
伝統国の日本では個人総合の価値が高い。


内村は実施点で圧倒した。
実施店とは技の出来映えの評価、10点満点からミスすれば減点される。
正確で美しい演技、体操ニッポンの伝統は受け継がれている。


相変わらずアメリカの選手の雑な演技には呆れる。
これも伝統なのだろうか。
鉄棒でも散々脚や回転軸が乱れた姿勢で演技し続け、着地さえ決まればガッツポーズ。
やれやれ困ったもんだ、と思う。
アメリカでは体操が人気種目なのだと聞く。
いまだアクロバットを見るような感覚なのではないかと疑う。


もうひとつ苦言。
(体操となると小うるさくてスイマセン)
国際映像の中継がサイテーだった。
カメラ台数が豊富にあるといえ、ライブで吊り輪の俯瞰映像をテイクする意味はない。
十字倒立や水平系の静止技の出来映えがまったく分からない。
ゆかのタンブリングも俯瞰で見せる。何の意図があるのだろう。
演技の高さも正確さも俯瞰では表現出来ない。
鞍馬で落下した。
直後のスローは選手の表情アップだった。
何が悪くて落下したかが全く分からない。
鉄棒に至ってはポディウム(演技台)の周囲をカメラが移動して演技を見せる。
どのアングルも自由自在というなら内村の着地がなぜ後ろ姿なのか。
中継クルーがその場のノリでやっているとしか思えない。
選手がどちらに向いて着地するかは事前にわかっているはず。
チャンピオンが決まる演技でフィニッシュが後ろ姿というのはどうなんだ?
国際映像はオランダだろうか。
もしかしてアメリカのクルーではないかと疑いたくなる。
シドニー五輪で日本と合同で中継したNBCのスタッフは体操中継を理解していなかった。


体操は採点競技なのだ。
地味と言われようが全ての選手の演技は同じアングル、サイズで見せるべきだ。
体操の競技性に価値を置くなら見せ方は公平でなければいけない。
たとえばオリンピックなら鞍馬だけでも8台から10台のカメラがある。
いったん演技が始まれば僕らはガマンしてワンカットで見せてきた。
豊富なカメラアングルは演技の前後かスロー再生で使って欲しい。
日本だけの堅い考え方なのだろうか。