ぷよねこ減量日記 2009/5-2016/1

旧ぷよねこ減量日記です。2016年1月に新旧交代してます。

ロシアへ愛をこめて  2008/6/16

雨上がりの快晴、8時起床。
爽やかな空気というわけではない。
湿気がたっぷり残っている。
ジョギング5キロでたっぷり汗をかく。
朝食はなぜか石焼き炒飯、旨い!

 

…昨日観た映画『イースタン プロミス』
ロシアンマフィア、いわゆるヤクザ映画、舞台はロンドン。
ロンドンがロシア人に席巻されているのはNHKスペシャルの「沸騰都市」で知った。
冒頭から映像はヤバイ緊張感に満ちている。
雑貨屋にロシア人の少女が駆け込んでくる。
大量の血、出産…あれ?
この話、どこかで聞いたことあるぞ、思い出した!
去年だったか「コラムの花道」で町山氏がロシアの人身売買組織について話していた。
その時に映画「イースタン プロミス」のあらすじを聞いたのに失念していた。

 

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奇をてらう演出はない、でも質が高い、最高にカッコイイ。
主演はヴィゴ・モーテンセン、共演はヴァンサン・カッセル、ナオミ・ワッツ。
登場人物は少ないが、みんないいね。
セリフの半分はロシア語、これが緊張感を増す。
いわゆるオシャレな、スタイリッシュな仕掛けは一切無い。
演技力だけでぐいぐいと魅せる。
100分間、すっと緊張感、いや恐怖感が持続する。
投手で言えば、精密機械のようなコントロールで打者を追い込む。
決め球は胸元をエグるようなカットボール。
全盛時のマリアーノ・リベラか、トム・グラビンか。

 

ヴィゴ・モーテンセンという役者がいい。
得体の知れない男を魅力たっぷりに演じる。
こいつは何者なのだ、と見る者を混乱させ続ける。
デンマーク系のアメリカ人、1958年生まれだから僕と同年輩。
しかし、サウナファイトで見せた鋼のような肉体は凄いぞ。
ヴァンサン・カッセルの何かにおびえたような病的でホモセクシャルな演技も冴える。
ブルース・スプリングスティーンとベン・アフレックを足して二で割ったような風貌。
妻はあの『マレーナ』のモニカ・ベルッチなんですね。
ナオミ・ワッツという女優は知っていた。
でも、映画の中で見るのは初めて、彼女も悪くない。
他の脇役もハズさない。
つまり、演出がいい、のでしょう。
4.5ブラヴォーです。
(この1週間ほどで6本観て、そのうち5本が4.5ブラヴォーとは大安売り?
 いや「ラストゲーム」以外はマジで観て損はないと思います。)

 

…昨日はロシアの闇を覗いた一日だった。
テレビでプーチンのメディア支配を観て、映画でロシアマフィアものを観た。

思えば、僕が最初にあこがれた国はソビエト連邦だった。アメリカではなかった。
どこか屈折したところがあったのだろうか。
でも、昭和30年代から40年代、ロシア的なものは一般的にも人気があったように思う。
♪夜霧の彼方に わかれを告げ 
個人的に言えば、ロシア民謡の哀愁と暗さが好きだった。
万博のソ連館が好きだった。
チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番が好きだった。
くるみ割り人形と白鳥の湖をレコードを買った。
最初は1968年、メキシコ五輪で体操のクチンスカヤに憧れた。
アメリカの選手よりソ連の選手の名前を多く憶えている。
体操のボローニン、アンドリアノフ、ツリシチョワ、オルガ・コルブト、ネイリー・キム、
女子バレーのリスカル、スモレーワ、重量挙げのジャボチンスキー、アレクセイエフ、
陸上のワレリー・ボルゾフ…。

 

金沢大学を選んだのも北方願望、ロシアの影響が強かった。
大学でも第2外国語にロシア語を専攻した。(すぐに挫折)
そこまでだった。
20歳を過ぎて転向者になった。
思えば、社会主義体制の一種ミステリアスな暗さに心奪われていたのだろう。
不幸で、満たされない者が発する何かしら惹きつけるもの。
でも、今のロシア出身のスポーツ選手、
シャラポワなどは美しいとは思うが惹かれるものは少ない。
抑圧がないからだ、身勝手なことを思っている。
てなわけで、昨日は“ロシアの日”でした。

 

…京橋でセルジオと合流。
軽く飲むつもりが立ち飲み「山葵」で火がつき、「よしむら」に行く。
「諏訪泉」と「日置桜」の鳥取の地酒の5種類を利き酒。
なんとも贅沢な遊び、だが5つもあると味の識別が出来ない。
酔ってるせいだろう。

 

…TV番組「秘密のケンミンショー」で聞いた大阪のおばちゃんのセリフがいい。
大阪独特のファッションセンスについての街頭インタビューだったと思う。
『ま、いろいろありやけど、ヒョウ柄やったら無難やんかぁ』
無難だそうです。

 

 

震災12年とROCK YOU! 2007/1/17

阪神淡路大震災から12年が経つ。
干支を一回りということだ。
そぼふる冬の雨があの1995年を遠い昔のように流していく。
12年前の今日、冬山のトレーニングと称して六甲山中でキャンプしていた僕は、
テントの周りを暴走した馬が何十頭も通りすぎるような凄まじい衝撃でたたき起こされた。
60リットルの大型ザックを担いで街へ戻った。
新神戸の高台から見た三宮は奇妙な静けさに包まれていた。

体重70.70キロ、16日を過ぎて10勝6敗、体重は落ちない。

…店主が清宮監督インタビューに立ち会ってくれたことを眼鏡堂通信で知る。
東芝戦やヤマハ戦へに対してのコメントは予想されたところ、
母校ワセダの敗戦をどう見ているのだろうか、
店主が「私的な話をした」というあたりが知りたいところだ。
4人の監督のトークイベントはどんな感じだったのだろう。

 


…ホワイトカラー残業ゼロ法案のコンセプトとテーマは何なのだろう。
政権は何を狙って、何を実現させたいのだろう?
これを考えていくと必然的に見えてくるものがあるはずだ。
国民は 好き嫌いとか、イメージ、見てくればかりに流されず、
笠原メソッドのように地道な理路整然を見直すべきだと思う。

 

 

 

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…午後から梅田芸術劇場メインホールへ行く。
パンチョ氏から「WE WILL ROCK YOU」に招待してもらったのです。
以前から話には聞いていた話題のロックミュージカルである。
♪ アクエーリーアー の「ヘアー」や映画で観た「トミー」みたいな感じだろうか。
あと「ジーザスクライスト・スーパースター」とか。
(多分、若い人は知らないだろうな)
ヒロとヒロのバレーボール仲間二人と待ちあわせて入場、
梅田芸術劇場って梅田コマだったのか。
一階席の中央ブロック、前から5列目という特等席だった。
以下は感想です。

やぱり生の歌、パフォーマンスは迫力と緊張感が同居していいもんですね。
ヒロは出演者の歌の上手さに感心してた。
(彼女は自分は音痴なのに他人の歌唱力には厳しいのですが…)
特に主役のガリレオ・フィガロ役の青年の声がきれいと感動。
あれくらい出ないとフレディの「BOHEMIAN RHAPSODY」は歌えないからね。

この物語では「悪の帝国」側なのだが、
クローン人間たちのダンスや歌が僕は意外と好きでした。
ロボットダンスみたいな群舞で「レディオ・ガ・ガ」を踊る。
画一的な表情が、お、頑張ってるね、という感じで
何だか観ているこっちの顔も笑えてきて困った。 
キラー・クイーン役が重量感たっぷりの迫力。
デビ夫人と細木和子とサッチーが合体した化身のようでした。
妙にデカい大阪の派手なキッツイおばちゃんだ。

悪の帝国の会社名が「グローバル・ソフト・カンパニー」
グローバル化が世界にとっては何だかヤバイぞというのは世界の共通認識なのだ。
大量破壊“楽器”が発見されなかったとか、もブッシュ政権の揶揄でしょう。
セリフに指輪物語のパロディ「わたしの愛しい人」とか、
「六甲おろし」とか「ハンカチ王子」などの大阪向け“くすぐり”も随所にあり。 

この日来ていた観客の何パーセントくらいがクイーンを知っているのだろう。
イギリス人だったら大半はスタンダードになっているのだろうか。
曲自体は知ってたけど、僕にとって レコードを買って聞く というバンドではなかった。
知ってるのは、
「キラー・クイーン」「レディオ・ガ・ガ」「伝説のチャンピオン」「バイシクルレース」
「ウィ・ウィル・ロック・ユー」「ボヘミアン・ラプソディー」「I Was Born To Love You」
これくらいだろうか。

オリジナル曲でなく、あえてフレディへのオマージュとして既存チューンを使っている。
だから楽しめるか否かはクイーンを知っているかどうかにかかる部分が大きいのかな。
それともオリジナル曲として楽しめればそれでいいのか。
僕らの世代は頭でっかちになっているので そのあたりは判断に困るところだ。

さらに言えばオリジナルの曲として楽しむには
劇としてのプロット(あらすじ)が弱いかなと思う。
(ちょっと子供向けの仮面ライダーショー的でもある)
このミュージカルはやっぱり クイーンを知っているファンが
お馴染みの名曲の数々をともに踊り歌うというのが醍醐味ではないか。
知識の蓄積がないと楽しめない、こういう感覚は頭でっかちなのだろうか。

劇中で若くして死んだロックスターへ捧げる歌がある。
スクリーンに彼らのフィルムやポートレートが映し出される。
バディ・ホリー、エルヴィス、ジミヘン、ジャニス・ジョップリン、ジム・モリスン…。
日本向けに尾崎豊が入って最後はフレディ・マーキュリー。
ヒロは音楽に詳しくないのでジョン・レノンと尾崎豊しかわからんかったと言う。
僕はこういうの得意です。

物語の終盤、湖からフィレディ・マーキュリーの彫像が浮上するシーンがある。
ちょっとワンナイあたりの小芝居のようで笑ってしまった。
「バラエティか」とタカ&トシで演出家に突っ込みたくなる。
ワンナイならあのフレディ像をぐっさんが金粉ショーでやるだろうな。
あのシーンは感動するべきなのか、笑うべきなのか。
笑っていいんでしょうね。

ラストは「BOHEMIAN RHAPSODY」
主役のヴォーカルはなかなか聞かせてくれる。
アンコールは「I Was Born To Love You」
これには会場スタンディング、
陳腐なストーリーなんてどーでもよくなって楽しめました。

一応、スタンディングしているものの、
ステージから見る日本人のスタンディングは出演者にどう映るのだろう。
心から解放されてるわけでなく、とまどいながらも楽しんでいる日本人のノリを。
ちょっとクローン人間っぽく見えたのではないだろうか。

カラオケボックスとか、仲間うちの宴会とかなら
日本人は心から解放されてバカになれるのだけれど。
内と外の使い分け? お恥ずかしい。

でも僕にとってミュージカル初体験、気分は高揚しました。
ヒロも最後はハシャいでました。
ちょっと見る前にビールを2杯ほど飲んで
世間のしがらみから解放されてほろ酔い気分で見たら
たぶん最後はノリノリになってしまうだろうな。
恥ずかしいけど、それが昭和の日本人なんだよな。
ま、日本人はノリノリになっちゃいけんよな、はしたないよな。
アメリカ人なんて映画観ててもスタンディングで踊ったりするからな。
あれは出来ないよな日本人には、近頃の若者はするのだろうか。
「欧米か」

ちなみに今回のオーストラリア&ニュージーランドのユニットらしい。
ロンドン公演と大阪公演の両方を観た人に言わせると、
このオセアニアユニットはちょっと太めだったらしい。
それも迫力と重量感かな。

パンチョ様、ご招待ありがとうございました。
ROCK YOU !

 

人生はいつだって計画通りには進まない。2008/1/27 

7時起床、蒲団の中で5時台に目覚める。
それから1時間半ほど熟睡は出来ない。
実質睡眠時間は…なんて考えない方がいい。
それでも5時間以上は眠っているのだから。
目覚ましラジオの天気予報が聞こえてくる。
撮影予定の29日は近畿地方は広い範囲で雨(!)とのこと。
また憂鬱になる。

 

…Bravo! で使用した“We Are One 私たちはひとつ”という曲。
英語ですが歌詞もなかなかいいです。
3年間2部リーグに漬かった近鉄の現状にハマり過ぎてるほどだ。

 As you go through life you'll see
 there is so much that we don't understand
 And the only thing we know is things don't always go the way we planned
 But you'll see every day that we never turn away
 when it seems all your dream come undone.

 いつか君にもわかるさ
 世の中にはわからないことがいっぱいある
 ひとつだけはっきりしてるのは
 何事も思ったようにはうまくいかないってこと
 でも、逃げるわけにはいかない
 たとえ夢が叶わないと思えても
 私たちがそばにいる 希望と誇りをもって

番組ではカットしてしまった部分の歌詞だけれど、ここがいい。
And the only thing we know is things don't always go the way we planned 
わかってるのはただ一つ、人生はいつだって計画通りには進まないものだ、と歌う。
それが普通なのだ。うまくいかないのは当たり前なのだ。
本当の仕事はここからだ。
あさっての予報が雨くらいで落ち込むな。
But you'll see every day that we never turn away
放って逃げても何の解決にもならない。
どこか他人事のように、冷静に判断して、前に進むしかない。

…自動昇格をかけたトップチャレンジシリーズが始まる。
近鉄(ウエスト1位)とマツダ(キュウシュウ1位)@花園
後半開始に流れがマツダにいく局面があったけれど実力に差があった。
54-13で3年目にして近鉄がトップチャレンジ初勝利、勝ち点5をゲットした。
来週のマツダ対横河電気(イースト1位)でマツダが圧勝しなければ近鉄の昇格が決定する。

我らが浜ちゃんは今季初出場。
1分の予定だったロスタイム、すでに41分過ぎてからの交替出場。
わずか数十秒でノーサイド、もちろんボールには触らず。
近鉄、そこまでロスタイムに固執するこたぁないぞ、と思う。
スタンドで浜辺コール、ラグビー酒場のお母ちゃんは涙ぐむ。
本人は嬉し恥ずかし、照れくさそうな面持ち。
うーむ、このシーンをどう伝えればいいのだ?
感動のシーンと言ってしまっていいのか? また難題がふりかかる。

 

 

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…社に戻ってから祝勝会に顔を出す。
「九太郎」というファミリー焼肉屋。
トーエツやバツベイ、トンプソンや旗振りオヤジらが盛り上がっていた。
NECのグレン・マーシュもいるではないか。
生ビールで乾杯し焼肉をつつく。

トーエツの話を聞く。
他人を叱咤することを恐れる人間は多い。
ある意味逃げなのだと思う。
言うべきことを言うべき時に言わないのは逃げなのだ。
沈黙は金、なんて言葉を持ちだしても逃げているのだ。
何から逃げているか?
責任をとることから逃れたいのだ。
だから、それが正しい、それが間違っている と思っても口にしない。

「私は何をやっても責任感じる人ですね」とインタビューでトーエツは言った。
練習でもチームを率先して叱咤、鼓舞する。
あれってシンドくない? と聞くと、
自分にプッレッシャーかけてるんです、と言う。
プレッシャーを感じて120%やる、そういうやり方が好きなのだと言う。
彼は勇者なのだと思う。
自らがライオンの雄になることを選択しているのだと思う。

老婆心ながら同時に思う。
大丈夫なんだろうか、と。
吉野弘の祝婚歌という詩にこんな一節がある。
「…正しいことを言うときは相手を傷つけやすいものだと気付いているほうがいい 」

トーエツ自身もそのことに気づいている。
正しいことが時に他人を追い込んでしまうこともある、と。
彼は言った。
自分はライオンの生き方が好きだ。
でも、ひとみ(奥さん)は 世界にはラム(子羊)もいるんだよ、と教えてくれる。
世の中がライオンばかりだったら大変だよ、と。
ラムも本当はこう思っているんだよ、と。

僕はひねくれたとこがあるので、
誰もが褒め称えるものに対して異論を唱えてしまう。
だから滅多にこんな表現はしないが、トーエツは気持のいい男だと思う。
人間としてまっすぐな力がある。ちょっと眩しい。

座を辞そうとサイフを探ると2000円ちょっとしかない。
カードで、というわけにもいかず焦る。
旗振りオヤジにさっと2000円渡して逃げるように帰る。
「財布の中身はにせんえん、はーらだたいぞーです」
失礼しやした。

…寒空の花園取材と夜は祝勝会。
キロ6分のペースを守れ、自重せよ、と今一度、自分に言い聞かせる。
疲労して抵抗力が落ちて風邪をひいても棄権するわけにはいかない。

…今日はスポーツいろいろ。
福士失速、大相撲のモンゴル対決、背泳ぎの日本新記録、
そして、俄に脚光を浴びるハンドボールの日韓決戦も近い。

 

信州 稲子湯にて 2005/8/31

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(ワイドビューしなの9号)
夏が尽きる日、信州行きの列車に乗る。
新幹線でなく在来線で直行の特急しなの9号8時58分大阪発自由席。
京都から80リットルくらいあろうかというザックを持って若い男女二人が乗り込む。
穂高だろうか、槍だろうか。
テント泊で夏の終わりの静かな山へ行くのだろう。
この季節の山は登山者も少なく寂しい山である。
明日から9月、テントには霜が降りるかもしれない。
夏山にもない、紅葉の秋の山にもない、9月の山のそんな寂寥感もいいものだ。

iPodから流れてくるのはケルトの調べ、囁くようなケイト・ラズビーの歌声。

曇り空。
今朝の体重は70.70キロ、血糖値79。
この数日、去年の同じ頃の日記を読み返している。
入院していた頃の日記だ。
そのときに思ったこと、感じたこと、遠い昔のようでもある。

…列車のシートで8月の総括と反省を記す。
(「WEB版ぷよねこ日記」には書きませんけど)
もっとも改善すべき生活パターンは朝から昼にかけて自宅のデスクでぐすぐずすること。
ネットサーフィン的な作業をしたり、日記のアップに時間を費やすことだな。
これは時間で仕切ってしまわないと無駄。
たとえば、朝食の後にはジョギングする、ジョギングしないなら家を出るとか。
日記アップとかネットで調べものなどの作業がしたければその分早く起きるべきだ。

ひとまず夏は例外的にうまく過ごせた。
エアコンを入れないで乗り切ったのはちょっといい気分だ。
申し訳ないが、あんまり反省はしない。
それより秋に向けて、9月以後のことを考える方が優先だ。

『そんなことはどうだっていいんだ。
 要は自分は、こうあるべきだ、という考えにとらわれないことだ。
 自分に出来ることなら、自分の気に入ってることをするのが一番いい。』
            〜ロバート・B・パーカー「初秋」より〜


…塩尻峠を越えると視界に雄大な山岳景観が飛び込んできた。
八ヶ岳のスカイラインと青い水を満々とたたえた諏訪湖。
「日本のスイス」というらしいが、
アルプスに囲まれた諏訪湖はレマン湖やチューリッヒ湖に似ている。
遠目に見れば…だけれど。

…旧中山道で岡谷、諏訪市内を通って霧ヶ峰への登りにかかる。
霧ヶ峰は一昨年の3月にクロカンスキーに来たことがある。
360度アルプスが展望出来て素晴らしいコースだった。
霧ヶ峰のスキー場は日本でも有数の歴史がある。
古いスキー場でリフトが一本しかない。
今となっては初心者用の丘のようなゲレンデだ。
戦後のスキーブームの頃には凄まじい人出で
白いゲレンデがわずかしか見えないモノクロの写真を見たことがある。
霧ヶ峰は三菱エアコンの名前、今でもあるのだろうか?
「きりーがみねっ」というCMを憶えている。
クーラーと言っていた時代、いくらだったのか知らないが
僕の家ではとても買えなかったと思う。 
そう、クーラーは「霧ヶ峰」電気掃除機は「風神」

…霧ヶ峰ヒュッテに寄り立命館合宿所に差し入れ。
天満の稲田酒店で買った純米吟醸「勝駒」だ。
選手は昼寝の時間だ。
諏訪湖へ下見に出ていた杉本コーチが帰って来たので
明日からの予定を聞く。
明日は午後からクロスカントリーコースでジョッグ、
明後日は朝5時から女神湖の周回をペース走で16キロ、
夕方は諏訪湖一周のトライアル(競争)をするそうだ。

下見しながらヴィーナスラインで蓼科へ抜ける。
蓼科からはメルヘン街道と名付けられた299号線で麦草峠越え。
麦草峠は海抜2000メートルを超え、冬には閉鎖される。
車の窓から入る空気が冷たい。
今夜は八ヶ岳の東側にある稲子湯という一軒宿の山の温泉へ泊まる。

山はすっかり秋の気配。
ハギの花やアキノキリンソウ、濃い紫のトリカブトが咲く。
この八ヶ岳の山域を訪れるのは何度目だろう?
最初は1994年の早春、北八ヶ岳の雪山を単独縦走した。
次が夏の蓼科のユースに泊まって、麦草峠あたりに行った。
ハードな仕事のあとの単なる避暑で山に登らなかった。
そのあと、Y田正男と冬に縞枯山荘に泊まった。山荘の奴がイヤな奴だったなあ。
次が1998年の7月、ヒロと女神湖のペンションに泊まった。
このときは痛風発作が出て、車山に登るのがやっとだった。
ニッコウキスゲが満開だった。
一昨年の3月、車山高原や霧ヶ峰、長門牧場でクロカンスキーをした。
都合5回ほど訪れている。
最初の雪山単独登山が想い出深い。あのときは山小屋泊まりで山中3泊だった。
4日間ずーっと好天に恵まれた。
しらびそ小屋、高見石小屋、麦草ヒュッテに泊まり奥蓼科に下りた。 

…稲子湯に4時半過ぎに着く。
ひなびた山小屋風の一軒宿だ。
稲子湯は北八ヶ岳の天狗岳や硫黄岳への登山口。
宿の前には北八ツ(きたやつ)の苔むした緑濃い森への入り口だ。
宿の周りの空気は冷たい。
10年前の早春、雪に埋まったこの稲子湯に立ち寄って湯に入った。
そのときは夜行列車で飲み過ぎて(アホでした)気分が悪かった。
とても今から雪山に入るなんて体調じゃなかった。
すがる思いで湯に浸かった。
奇跡のように気分が良くなった。信じられないほど体調が回復した。
食欲さえ出て、きのこうどんを食べた。おいしかった。
救われた思いがして、いつかこの稲子湯に泊まろうと思った。

映画「天国の駅」はこの宿と周辺で撮影したらしい。
ロビーにはここで撮影した吉永小百合の写真とサインがある。
たぶん30代だろうか、まだ少女の可憐さを残した彼女が稲子湯の玄関で微笑んでいる。

投宿して湯に浸かる。
男女別の内風呂があるだけのシンプルな温泉。
ひなびた感じは10年前に来た時と変わっていない。
70歳くらいの老人が一人入っていた。
湯が熱過ぎて入れないとかけ湯をしている。
ここのは源泉でうめるのだと教えたら
奥さんが入っているのだろう、隣の女湯に
「おーい、うめたらええねんて」と関西弁で教える。
ここの源泉の温度は何と7度と冷たい。
鉱泉というのだろうか冷泉というのだろうか、沸かして40度にしているが、
湯船の端にその7度の源泉が小さな貯水槽に流れ込んでいる。
蛇口を全開にしてその7度の源泉を景気よく流し込むとあっという間にぬる湯となる。
単純炭酸泉、源泉を飲むとなるほど炭酸水、発泡感がある。
天然の炭酸水ってあるんだな。
知ってはいたけど実際に飲んでみるのは初めて。
前に来たときは温泉の種類や成分になんて興味なかったし
体調不良でその余裕もなかった。
炭酸の温泉は和製のペリエだ。
ペリエの風呂に入っているのだと思うと贅沢な気分になる。

これはいい。
ペリエのぬる湯、かすかに硫黄臭がする。
長湯が出来るぞ。
 
温泉なんて露天や展望風呂や足湯や寝ころび湯、
目先を変えただけのものは本当は必要ない。
そんな小細工は都会のスーパー銭湯ですればいい。
自分に自信がないとそういう趣向でごまかす。
番組づくりでも同じこと、自信がないと本筋以外のことに異様に熱心になる。
スポーツ中継でも同じ。
本当はゲストやスタジオなんてどーでもいいのになあ。
稲子湯、いいねえ。
ペリエの沸かし湯一本で勝負!潔いではないか。

…風呂でその70年配の老人と話をする。
兵庫県龍野市からJRとバスを乗り継ぎ来たのだそうだ。
今回は温泉巡りだが、つい数年前に「日本百名山」を完登したという。
4年前、68歳のときに南アルプスの塩見岳の頂を極めて100座となった。
なかなかの強者ですな。
小柄でやせ形、耐久性に優れて、燃費のいい(粗食に耐える)、昔の日本人の典型。
「百名山」は夫婦揃って登った。それはいいなと思った。
夕食どきに奥さんにも会ったが、小柄で背も丸まって見るからに「おばあさん」。
奥さんも旦那さんも山登りはまったくの素人、自信が無かった。
地元の山岳会やサークルに入ってみんなと一緒に登る自信がなかった。
「みんなに迷惑がかかる」と二の足を踏んだ。
夫婦二人ならゆっくりのんびりとしたマイペースで行けるのではないか、
そんな理由からの夫婦二人っきりの登山が始まった。
悪天候や、体調不良のときは撤退した。
同じ山を2度3度挑戦することは当たり前だった。
北海道のトムラウシは3回挑戦した。
2度目の時は川が突然 増水して胸まで浸り、九死に一生を得たという。
3度目で登頂に成功したときも疲労困憊、数日食べることが出来なかった。
25年かかっての偉業達成だった。
必ず聞かれるという「一番良かった山は?」という質問を僕もした。
その質問には新潟と山形の県境にある「飯豊山」と答える。
その山域の雄大さを語るのだという。
何よりも羨ましいのは「百座の山の記憶」が
夫婦二人の共通のものであるということだ。

…山の宿らしい夕食。
低カロリーなものが多い。
岩魚の塩焼き、鯉の造り、茄子の味噌田楽、味噌仕立ての鍋、土瓶蒸し。
秋の味覚、ジゴボウという根曲がり茸が出始めた。
大根おろしで和えたものが美味しい。
地酒は「牧水」という生酒、佐久の産である。
勉強不足で知らなかったが若山牧水は信州の生まれなのか?
佐久と言えば「帰山」という酒がある。
駅前第2ビルの山長酒店に春先になると「帰山」の濁り酒が入荷する。
濃厚で発泡性があって爽やかな味だ。

ジゴボウを採ってきたのは宿の客。
宿の人から「ヤマザキさんが採って来られたんですよ」と紹介された。
山崎さんはまさにご隠居さんといった笑顔の老人。
奇遇にもこの宿は泊まっている3組とも兵庫県人となった。
ドイツ人と関西人はどこにでも行く法則がまた証明された。
山崎さんも龍野のご夫婦に負けないスーパー老人だ。
ことしで81歳になる。
夏の数週間、ここ「稲子湯」に泊まり、
その間、毎朝4時に起き、登り2時間下り1時間半のしらびそ小屋まで往復しているという。
六甲山麓では「毎日登山」と言って、早朝に家の近所から往復できる山や茶屋まで
散歩する人たちがいるが、そんな感覚らしい。
ニコニコして元気そうな顔色をしている。
あまり頑固そうな感じがないのが老人らしくない印象だ。
山崎老人も会社を辞めてから退屈しのぎに70歳から山登りを始めた。
暑いのが苦手で4年前からこの宿に来るようになった。
当初はなんと登り6時間下り5時間かかる硫黄岳へ毎日登るつもりだったらしい。
これはいくらなんでも無茶だ。
「単独行」の加藤文太郎でもそんなアホなことはしなかったに違いない。
山登りしている僕らの感覚からしても同じ山を
10時間以上かけて毎日登り続けるというのは信じられない。
まず体力、加えて気力の問題、一日登ったら、そんな気力はなくなる。
だいいち硫黄岳のピストンは11時間、日帰りの出来る山ではない。
山崎老人は3日続けたらしい。
言っておくが当時76歳、一日11時間の往復登山だ。
暗いうち3時過ぎにヘッドランプをつけて真っ暗な森へ入る。
帰りはペースが落ち、夕方6時近くになる。
また、翌朝3時に出発…!
3日間続けて4日目に気力も体力も無くなったと言う。
そのときは、自分はダメな奴だ、と落ち込んだ。
後年、4つ年下の登山家と同じルートを歩いた。
その挫折を告げると
「あんた、そんなことしとったんか、わしは日帰りすることさえ出来んぞ。」
と驚嘆されたことから逆に自信を回復したとニコニコして話してくれた。

山崎さんは81歳の今も恒例の六甲全山縦走を踏破している。
実は2004年の踏破成功者で最高齢者らしい。
歴代の最高齢記録は84歳。
山崎老人は85歳の新記録まで何とか歩きたいという。
あと4年…しかし、最近体力の衰えを感じているという。

もう一つ驚いたこと。
宿の前に神戸ナンバーのワゴン車が停まっていた。
山崎老人はここ八ヶ岳山麓の温泉まで自家用車で来ているのだ。
81歳が神戸から自分で運転してくるのだ。
僕が驚くと、ケロッとして言う。
「運転は苦にならないんですわ、4回くらい休憩しますからなあ」
まいった!
高齢者ネタ、登山ネタ、健康ネタ、の狙いでで取材しようかな。
ニューススクランブルあたりでどうでしょう?

(翌朝のこと)
翌朝9時前、僕が宿を出てしばらく登り坂を行くと
林の中から山崎老人が出てきた。
昨日と同じようにニコニコして頑迷なところがない。
朝の日課、しらびそ小屋まで往復して下山するところだった。
僕は挨拶して、少し立ち話して、それではお元気で、と言う。
「もう、二度と会うことはないでしょうなあ」
山崎老人はニコニコしてそう言った。
その言葉に僕はちょっと戸惑い、質問を返した。
神戸のどこにお住まいですか?
「長田です」
震災のときは大丈夫でした?
聞いてから後悔した。
長田なら家族が亡くなってるかもしれない。
「家は半壊でしたが、無事生き残りました」
ほっとした。
「わしゃ、ほんとに運がいいんです。恵まれとるんですよ」
山崎老人は笑顔でそう言うと、それじゃあ、とまた森の中へ消えていった。

宿の人から聞いた。
「あの人はこの稲子湯からしらびそ小屋までの2時間ちょっとの登山道を
 毎年、整備してるんですよ。草を刈ったり、倒木をどけたり、木道を直したりして」
夕食時に百名山を登った龍野の夫婦の話を聞いた山崎老人は、
「何よりも、二人いっしょに登ったのが素晴らしいことですなあ」と何度も言った。

「運がいいんです」と言った山崎老人。
笑顔の裏には、もしかしたら悲しい出来事があったのかもしれないが、
たぶん、あのニコニコ顔で人生を肯定的に生きてきたのだろう。
アメリカ人が言うところの自然と他人も幸福にする「ハッピーピープル」なのかもしれない。
「ハッピーピープル」に会いにまた稲子湯へ行ってみたい、と思った。

 

 

Fix You 君を直してあげる 2009/2/4  

2018/5/5「春一番」コンサート会場に初めて言って思い出した日記。

映画「ヤング@ハート」を観て号泣寸前になった日のこと。

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7時過ぎに起床、晴れて暖かい。

冬があたたかいというのは嬉しいことではない…と毎日のように思う。

このグローバル恐慌と同じで、いつか破綻が確実に来るのでは。

個人的に言えば、僕だって同じようなものだ。

今のところは大丈夫、今のところは…。

 

朝食は作りおきのハヤシライス。
今日は一人で映画のモーニングショーに行く。
1月は5本、2月はすでに5本見た。
映画三昧。

 

…またJRが遅れている。
向日町駅周辺で濃い霧が発生したためらしい。

心斎橋のビッグステップにある「シネマート心斎橋」。
何年ぶりかに行く映画館、記憶をたどると…10年近く行ってない。
前に来た時は「シネマート」ではなくて「心斎橋パラダイスシネマ」だった。
きれいなミニシアターで、それは今も変わらない。

水曜日は「レディースデイ」で女性は1000円。
モーニングショーの入りは女性中心で15〜20人くらいか。

今日の映画は昨日の『バンク・ジョブ』と同じく町山氏の「コラムの花道」からの筋。
ドキュメンタリー映画『ヤング@ハート』です。昨日と同じイギリス映画。

 

WEBの紹介文から引く。
「米・マサチューセッツ州の小さな町ノーサンプトンのコーラス隊「ヤング@ハート」。
平均年齢80歳の年金生活者のおじいちゃんとおばあちゃんたちで構成されている。
歌うのはクラシックやポップスのスタンダードではなく、ロックやR&Bの曲ばかりだが、
驚くべきことに彼らはその曲を完全に自分たちのものにしている。
コンサート前の6週間、彼らに密着し、リハーサルの様子やプライベートを追う。
感動を呼ぶ彼らのパフォーマンスはどこからくるのだろうか。」

登場人物は、“お茶目な花形スター”アイリーン(92歳)、“音痴な歌好き”スタン(76歳)、
“6度のガン治療に耐えた超人”ジョー(83歳)、“孫が23人の曾曾ばあちゃん”ドーラ(83歳)ら
彼ら彼女らを率いるのは、息子のような年齢の“厳しい指揮者”ボブ・シルマン(54歳)。

 

108分が終わる。
不覚にも泣いてしまった。
というか、後半は泣きっぱなしだった。
もうどうでもいいや、と言う感じ。
涙が頬を伝って流れるにまかせた。
どうせ真っ暗だし、と。
まさにストーンズの『As Tears goes by』(涙流れるままに)そのままだ。
どうして泣けるんだろ。
悲しいわけじゃないのに。
ジャクソン・ブラウンにも『Here Come Those Tears Again』って歌があったなあ。
また、涙がこぼれ出してしまった、とあの切ない声で歌う。
映画と何の関係もないけど。
不幸な出来事は起こらない。
どちらかというと笑ってしまうおとぼけ(老人ボケ?)シーンの連続。
泣くような映画だと思ってなかった。
だから不覚の落涙。

 

インタビューと練習風景とホールでのライブで構成されている。
ヤング@ハートのメンバーが歌うのは、指揮者のボブ・シルマンが選曲したレパートリー。
クラッシュ、トーキング・ヘッズ、ラモーンズ、ボブ・ディラン、ソニック・ユース、
ブルース・スプリングスティーン、ジェームス・ブラウンなどのロックやR&Bミュージック。
(この選曲のセンスがいいのかも)

 

一人一人の老人をじっくりと描くことはない。
ずぶりと感情移入させるような構成にはなっていない。
短いエピソードや若い頃の白黒写真が挿入されるくらい。
でも、インタビューがいいのだ。
92歳のおばあちゃんアイリーンが言う。
「わたしがいなくなっても悲しまないでね。
 七色の虹に腰をかけて、みんなをずっと見てるわ」
かわいくてチャーミングなのだ。
エンドクレジットの最後に、撮影終了後にアイリーンは亡くなった、と知らされる。
『今、アイリーンは七色の虹に座って僕らを見ている』と字幕が出る。
泣かせる、決して悲劇でもなく不幸ではないけど…。
人は悲しいから、不幸だから泣くのではないんですよね。

 

涙の話ばかりで恐縮だが、最初にどばーと涙が出たのはこんなシーンだ。
メンバーはバスで刑務所の慰問コンサートへ出かける。
晴れた気持ちのいい日だ。
バスの中で悲しい知らせが届く。
いっしょに行くはずだったメンバーの一人が容体が悪化した。
今朝、家族から訃報が届いた、と。
『ボブ・サルヴィーニは天国へ行きました』
塀の中、青空の下で野外コンサート。
コンサートの最後のナンバーは『Forever Young(いつまでも若く)』
クラシックのように朗々と一人のおばあちゃんが歌い始める。
ボブ・ディランのとはまったく別の歌のようだ。
賛美歌だろうか、と思う。

 

 神様があなたをいつも祝福して下さりますように
 あなたの望みがすべて叶いますように
 あなたはいつも誰かのために尽くし、そして皆もあなたを助けた

 

もう一人のじいさんが歌う。

 

 君が星へとどくハシゴをかけられますように
 そして、そのハシゴを一歩ずつ昇っていきますように

 

いい歌だ。
今までノリノリで楽しんでいた囚人や看守が息を飲む。
あれ、なんだこれ? と思っていたら涙が出ていた。
コーラス隊が控えめにリフを入れる。

 

 Forever young Forever young
 May you stay forever young

 

な、なんじゃこりゃ? 涙が頬をつたう。
スクリーンでは入れ墨をした男が泣いている。
さらに歌詞を伝える字幕が追い打ちをかける。

 

 君がいつも勇敢で、強く、そして潔くありますように
 いつまでも若くありますように
 
他の客が鼻をすすりあげる音がした。
それで、ちょっと冷めた。

 

そのコンサートから1週間後、もう一人のメンバーが天に召された。
ジョーというコーラスの主要メンバーで宣伝ポスターの中心に写っていた爺さんだ。
平均年齢80歳、永遠の別れは日常なのだ。

 

映画のクライマックスは町のホールでのコンサート。
フレッドという80歳のじいさんの歌った『Fix You』という曲がたまらない。
これには、なんと言うか、すすり泣く声が出そうになった。
フレッドは80歳、うっ血性心不全を患い、今は酸素吸入器をつけている。
しばらく休んでいてグループには久々の復帰だった。
刑務所の慰問の日に亡くなったボブ・サルヴィーニとは親友で、
復帰を祝うナンバーとしてこの『Fix You』を二人のデュオで歌うはずだった。
親友が死んで落ち込むフレッドだったがコンサートには一人でも歌うと決意する。

 

自宅のパソコンで『Fix You』のPVを見ながら練習する。
僕はこの歌を知らなかったが、すごくいい歌だ。
コールド・プレイというイギリスのグループの曲らしい。

 

ピアノのイントロが始まる。
フレッドの酸素呼吸器のプシュという音が断続的に入る。
(ダイビングしながらリポートする時のような音)
歌が始まる。
フレッドのソロだ。
バリトンで声量がある。


こんな歌詞だ。(町山智浩訳)

 

 一生懸命頑張っても、力及ばない
 欲しいものをやっと手に入れたのに、必要なかった
 死ぬほど疲れているのに、眠れない
 何をやっても裏目に出る

 

 そして涙が君の頬を流れ、
 取り返しのつかないものを失い
 誰かを愛しても報われない
 これ以上の不幸があるだろうか?

 

歌にフレッドの心がこもっている。
これが歌の力になってぐいぐいと聴く者の心にしみこむ。
また涙がこぼれてしまう。
フレッドは泣いていない。
淡々と歌う。
感情の表現はすごく地味で抑制されている。
でも、友を失った哀しみが伝わってくる。
もう涙がとまらない。
(いいかげんにしろって?)
そこでコーラス隊、あくまで控えめに。

 

 でも、光が君に帰り道を示すだろう
 そして君の骨に命を吹き込むだろう
 僕が君を直してあげるよ
 (and I will try to fix you)

 

フレッドが囁くように歌う I will try to fix you は良かった。
亡き親友のボブに、僕が直してあげる、と歌う。
字幕では「癒してあげる」となっていた。
Apple Music Storeでもyoung@heart soundtruckで検索すれば試聴出来る。
ロックミュージックやR&Bの歌詞も彼らが歌うとなにかしら別の意味が出てくる。
目からうろこが落ちた思い。

 

笑い、思いっきり泣かされた。
つまり、いい映画だ。
恥ずかしながら流れ出た涙の量は僕にしたら最多記録ではないか。(涙もろい歳でもある)
5ブラボー。
そういえば小西氏のブラボーシネマでも5つ星だったなあ。
40歳以上なら激涙必至。(年齢制限に確証はないけど)

 

この映画はもともとイギリスのテレビ番組だったもの。
金をかけなくても泣ける番組は作れるんだ。
僕も、頑張ってみよ、と少し勇気をもらう。

 

面白かったのは爺さん婆さんにもいろいろタイプがあるということ。
グループを率いるボブ・シルマンから歌う曲が入ったCDを渡されて、
『これどっちが表だっけ?その歌はどっちに入ってんの?』

なんていう爺さんもいれば、
酸素呼吸器のフレッドのようにパソコンで動画を見たり、

遺言を録画したりする老人もいる。

 

…昼飯は同じビッグステップにある店でトマトラーメンなるものを食べる。
ガーリックが効いてイタリア風中華麺といった感じ。
けっこう病みつきになるかも、という味。

 

空は青空、御堂筋を北へ歩く。
途中、本町通りのスターバックスで読書。
今野敏『果断 隠蔽捜査2』を読了。
これについては明日にでも書こう。

 

…東映の試写室で『マダガスカル2』(吹き替え)を観る。
まさに映画三昧の日々です。(仕事してんのか?)
このシリーズの1はボストンからの帰りの機内で見た。
こうして大きなスクリーンで見るとそのCGアニメの素晴らしさに驚く。
しかし、3分の1くらいは眠ってしまった。
『ヤング@ハート』を観て映画の感性を使い果たしてしまったのだろう。

 

…『果断』を読み切ってしまったので読むものがない。
ブックファーストで新書を3冊。
カン・サンジュン『悩む力』、越智道雄と町山智浩の対談『オバマ・ショック』
この2冊は集英社新書。
それと浜矩子『グローバル恐慌』(岩波)を買う。
不安産業で金融不況ものが売れているらしいが、岩波新書ならレベルは高いだろう。
僕らの世代には岩波信仰があるのだ。

新梅田食道街で立ち飲みのおでん屋。
『グローバル恐慌』を読みながら熱燗とおでん2種。

また長い日記になってしまった

 

『光州 5.18』 2008/6/17

「タクシー運転手」という映画を観て思い出した。(2018/4/26)

 

 

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73.35キロ、とまた逆戻り。
6月は72台と73台の数値、並ぶ数字を真摯に受け止めよ。
得意のフィードバックしてみると、
07年6月は最重71.75キロ-最軽70.25キロだった。
06年6月は70.40-69.15、05年6月は71.25-70.55。
酒量もさることながら、悪い嗜好が復活してしまったのが問題。
オムライス好きを容認して好きなだけ食べていたら、ビフカツや海老フライも容認。
以前は一ヶ月か二ヶ月に一度、しかも注意深く、あるいは胸ときめかせて、食べたのに…。
昨今は、昼はインディアンカレーにしよか、というのが日常になってきた。
飲む時のつまみも天ぷら、唐揚げ、フライ、串カツのうち一つは必ず食べる。
野菜、魚、腹八分目というキーワードから遠くなった。

…朝10時からモーニングショーを観に行く。
おととい『イースタン プロミス』を観たシネリーブルの上階にあるガーデンシネマ。
韓国映画、タイトルは『光州5.18』です。
客の入りは30人ほど、客層は年配のグループ、夫婦が中心。

いわゆる“光州事件”、実話のドラマ化です。
チラシの説明を引用。

 1980年5月18日。韓国 光州市。
 平和なこの町に住む市民の前に、突然悲劇は訪れた。
 25000余名の韓国軍と民主化を求める学生らとの間に武力衝突が起こる。
 一瞬にして戦場と化した状況の中で、何の抵抗も出来ない市民は、恐怖に打ち震え逃げ惑う。
 兄弟が、恋人が、愛する息子が…。
 彼らは極限の中で、ただ愛するものを守りたいという本能で、戦いを挑んでいくのだが…。
 多数の死傷者を出した“光州事件”は、当時韓国では、マスメディアの情報操作によって
 その悲劇は正確には伝えられなかった。
 ニューヨークタイムズなどの海外メディアの外信によって、事件は初めて公にされたのだ。

“光州事件”、映画を観ると事件などという生やさしいものではなかったと知る。
一つの街を戦車が包囲し集中攻撃をしかけた市街戦だった。
1980年、28年前(もう懐かしき80年代なのか)、僕らの生きてきた同時代の歴史だ。
当時の僕は23歳、恥ずかしながら休学中の学生だった。
新聞やテレビで聞いて知った韓国の光州事件、光州というのは街の名前なのだと初めて知った。
やがて、学内のタテカンやビラで光州の事件は民主勢力の蜂起だと知る。
市民や学生は武器を手に抵抗したらしい。
韓国は徴兵制の国だからなあ、ゲバ棒や投石では済まないんだなあ、と感心した。
しかし、軍事政権による総攻撃で市民が虐殺され蜂起は鎮圧、歴史の闇に葬られる。
以後、政権が変わり、反政府分子による暴動が一転して民主化運動として認められた。
当時の軍事政権の全斗煥元大統領ら責任者が逮捕、投獄された。
いったい光州事件とは何だったのか?
頭の片隅でずっと気になってはいた。

事件は日本で例えれば、地方都市、たとえば広島でデモが激化した。
鎮圧にあたったのが自衛隊の空挺部隊、軍はいったんは撤退する。
しかし、最終的には戦車部隊が広島を包囲、県庁にたてこもる武装した市民を総攻撃した。
映画はノンポリの市民を主人公にわかりやすく描いている。
(ノンポリ?いいのか悪いのかは別として積極的に政治運動に関わらない普通の市民)
市民側にもベトナム戦争経験者がいたりして、日本とは違う。

でも、もの足りなく思う点も少なくない。
なぜその事件は起こったのか? の視点だ。
なぜ、学生のデモが起こったのか?
当時、韓国の国内でデモは頻発していた、見せしめだったのか?
では、なぜ光州だったのか?
もし軍事独裁による挑発行為が招いた内乱だとすれば、なぜ挑発する必要があったか?
映画では一部の空挺部隊の長が悪いように描いているが、事実はそうだったのか?
そもそも軍事政権は何のために市民を殺したのか?
デモは北の工作員が仕掛けていたという話は本当なのか?

もちろん日本とは違う。
日本の敗戦が1945年、朝鮮半島はそれからまだ戦争が起こり休戦したのが1953年。
あくまで休戦、戦争は続いていた朝鮮半島の政治的、地政学的状況は日本とは違う。
当時どこからか聞いた話で韓国国内に地域的な差別や対立があったのだと知る。
ソウルを中心とした慶尚道は光州のある全羅道を蔑視しているという。
そして、全羅南道はかの金大中の出身地でもあった。
数年前、映画『太白山脈』を観た。
朝鮮戦争直前、右翼と左翼が血で血を洗うあの悲劇の小村も光州と同じ全羅南道にあった。
全羅南道は政治的に悲劇性の強い土地なのだろうか。
日本が南北、あるいは東西に分割されて差別的な見方が顕著になっていたら、
どこかが全羅南道のような運命になっていたのだろうか。

ここ数年、言いたかったことが一つある。
今や韓国は韓流ブームや日韓共催のサッカーW杯などで親しい隣国となった。
悪いことではない。
でも、ちょっと待て、20年前には明らかに違ったのだ。
僕らが学生だった時代、韓国は反動的な国家だった。
国の成り立ち上、仕方なかったかもしれない。
が、当時は南は北より恐いと思われていた。
糾弾すべきは韓国の反動政権だった。
時代は変わる。
今、その空気を知っている人は少なくなりつつある。

映画のHPに当時の日本の朝日と読売の両全国紙がどう伝えたかを載せている。
読売は一貫して“暴動”という言葉を使っているのが興味深い。
朝日は学生、市民の抵抗というニュワンスだ。
まだ、その差が歴然とあった時代だったのだ。

『君のためなら千回でも』のソ連のアフガン侵攻も1980年、
この映画の光州事件も1980年。 
たまたまだが1980年、その時代 まだ鉄のカーテンが歴然と存在した。

…映画のあと、ミズノオープンの始まる読売ゴルフ場へ行く。
夏のような強い陽ざし、石川遼の練習をチラリと見て帰る。
録音したピーター・バラカンのラジオ番組でボー・ディドリー特集を聞く。
ジャングルビートが頭に鳴り響く。
読む本は朝暮三文の「広告放浪記」、これが面白い。

 

日本カーリング選手権 2006/3/3

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(松本ホテル花月にて)
6時過ぎに起床。
きれいな大浴場で朝風呂を浴びる。晴れて松本盆地を囲むアルプスが見渡せる。
松本のホテルに泊まってこんな贅沢な気分が味わえるなんて思わなかった。
さあ、遅れている仕事を片づけてしまおう。 
発注メールは書けたがこのパワーブックに送るべきアドレスがない…。

松本城へ寄り道して駅レンタカーへ歩く。
残念ながらアルプスに雲がかかってきた。
9月に行ったロイネットのあるビルの「すかいらーく」で朝食。
前回は変な席に案内されたので今回は意を決して窓際の席に陣取る。
こういう店には携帯電話で傍若無人に話す男が必ずいるよなあ。
ここにもいたよ。
彼の感性には、携帯で大声で話すことがマナーに反しているという、
という意識は全くないのだろうなあ。
おお、何だか説教し始めたぞ。
お恥ずかしいことに、関西弁だし。

…今回のレンタカーはMatsudaのデミオ。
12時間で6700円(スタッドレスタイヤ着装)
このナビが長野道(高速)に乗せよう乗せようと誘導する。
宿の人に聞いたら三才山トンネルを抜けたら軽井沢まで1時間半だという。
ナビを無視して山越えする。
峠の樹氷がはっとするほど美しい。
店主か日帰りで来るという旨の電話が入る。
一路、軽井沢駅へ向かう。
残念、浅間山は雲に覆われている。

11時過ぎに軽井沢駅に着く。
東京から来た店主と立ち食い蕎麦の昼食。
会場のスカップ軽井沢へ向かう。
1998年 思い出の長野オリンピック カーリング会場であります。
(実際には練習会場だったらしい。競技会場は同じ公園内にある風越公園アリーナ)
日本の若きスキップ敦賀クンの涙するシーンを思い出します。
長野五輪から8年、なんだか遠い昔のような気がする。

アリーナやテニスコートなどの総合施設 「軽井沢風越公園」、
スカップ軽井沢は公園内に、つつましく控えめに在った。
五輪マークがなければ何かの倉庫のような地味な建屋。
ここで、今まさにブームとなっているカーリングの日本選手権が開催中なのだ。

店主「お、カーラーたちが煙草吸ってますよ」
玄関で選手たちが灰皿を囲んで煙草を吸っている。
アスリートらしからぬ、おっさん然とした雰囲気を漂わせている。
地域の草野球大会に借り出された会社の仲間のようだ。
とても日本の頂点を決める大会とは思えない。

素人っぽい(好感の持てるという意味)プレス受付を済ませる。
一日3試合行われるうちの2試合目が始まろうとしている。
報道陣は見渡すところ僕らしかいない。
大会は3日目、まだ予選だからだろうか。
観戦する客らしき人々も…ほとんど見あたらない。
チーム関係者がちらほら。のどかなゆるーい雰囲気です。
毎年、但馬ドームで開かれる障害者野球の日本選手権に似た感じだが
障害者野球の方は報道関係者や地方からの応援団で結構賑わう。
でも、目の前のこれは、オリンピック競技の日本選手権なのだ。
カーリングブームとは言われても実際のところ、これが現実だ。

決勝になれば報道陣や観客は集まるのだろうか?
僕もいろいろなマイナースポーツの会場を見ているので
ある程度の想定はしていたが、現実は想定を越えていた。
これまでオリンピック代表が決まる年以外は、ひっそりと行われていたのだろう。
(他にもそんな競技はあるのだろうけどね)

日本選手権は今年で23回目。
パンフレットによると1984年(ロサンゼルス五輪の年)から始まっている。
第一回の会場は真駒内アイスアリーナ、優勝はレッドパジャマという北海道のチーム。
第18回の女子優勝はシムソンズ、一昨年の優勝はフォルティウス、今回のトリノ代表だ。

さっそく試合観戦。
とはいっても観客席はほとんどない。
縦位置に3段の仮設のスタンドがあるだけ。
その最後列はコーチ席となっているが、ほとんどのチームが選手兼任だから人もまばら。
4つのシートで同時に試合開始、主審とかがいるわけではないので
選手同士が挨拶して勝手に試合は始まる。
あれ、もう投げるの?って感じだ。

注目したのは現在二連覇中の常呂協会とその前に4連覇しているチーム浅間の対戦。
男子もまた常呂町と長野の二大勢力が競い合っている。予選では屈指の好カードだ。
常呂協会のエースは28歳になった敦賀信人、
日本でカーリングと言えば彼しか思いつかない。
その彼が8年前に涙を流した同じ舞台でスキップを務めている。

以下、実際のカーリングの試合を観ての感想…

意外に展開が早い。
テレビ中継ではゆったりと感じられるが制限時間があるために
素早く、次なるターゲットを決めなければならない。
うーん、これはどーするのかな、なんて考えているともうストーンが滑っている。

テレビでは映像を選択してじっくり見せてくれるからだろう。
(たとえば天井カメラを長く見せてくれる)
現場では見るモノを自分で選択しなければいけない。
材料は多いが判断材料にするほど見る目が養われていない。
これは他のスポーツでも言えること。

知ってはいたのだが、生で見ると44メートルはけっこう長い。
よほど習熟しないと距離感がつかめないだろう。
ヒットさせるショットより、置くショット(ドロー)は緊張を強いられる。
予想以上に神経を消耗させる。

ウォーコールも、イエスコールも、声のでかいスキップがいて
隣のスイーパーはうるさいだろうなあ、自分らのスキップコールが聞こえないのでは?
敦賀クンは淡々とコール、しかし、ここぞと言うときには激しい。
さすが名スキップ、タクト裁きもメリハリが効いている。

これも知識として知ってはいたのだが、
エンドごとにハウスが入れ替わる。
縦位置で見ていると(そこしかスタンドは無いのだが)偶数エンドしかハウスがめ見えない。
ずっとこっち側のハウスでやってよ、と思う。

カーリングは氷上をストーンが滑る「音」の競技だ。
大量点差でギブアップした試合でストーンを一カ所に集めるときにもの凄い轟音となる。
ジャンボ旅客機が通過しているかのよう。

コーチ席にノートパソコンでスコアをつけている選手がいる。
カナダから取り寄せたスコア用のソフトで瞬時にしてその選手のショットの成功率も出る。
彼はずっとイアホンで音楽を聴いたり、携帯メールをしながらスコアをつける。
選手との交信なのかな、とも思ったがその様子もない。(それは禁じられている)
チームメートが日本選手権を戦っているという緊張感は無い。
決して体育会ではない、文化祭系だ。

もう一人のコーチ役の眼鏡をかけた人に話を聞く。
(話しかけた時には彼がコーチだとは知らなかった)
話しているうちに、ああ、この人常呂町のコーチなんだあ、とわかってくる。
おお、対戦中のコーチと雑談なんてしてしまった。
ラグビーやサッカーでは考えられない。

その常呂協会のコーチ平間さんが言うには、
目の前で試合をしている常呂協会が4月ボストンで行われる世界選手権へ出場するという。
オリンピックを見ても世界との差を感じた、
カナダなどはショットの正確さ、ウエイトジャッジ、さらにスイープ力が格段に違うという、
(それでも稀に勝てることがあるのがカーリングの魅力でもあるらしい)
世界選手権出場が決まって、チームはカナダへ合宿に行った、
すでに中国や韓国が合宿を張っていた、
彼らは二ヶ月間の合宿、日本はみんなの仕事の都合を合わせてようやく2週間、
中国や韓国の選手に、あれ、もう帰っちゃうの、という感じで見られた、
この二国ともカーリング強化で選手はカーリングだけすれば良いという、
ついで台湾も選手を集めているが、これはカナダ在住の台湾人ばかりのチームらしい、
練習環境は日本より数段に恵まれている、
ボストンの目標は?
日本はまだ2回か、3回しか出たこと無いんですよ、
12試合するので、一つは勝ちたい、出来れば2勝、3勝…。

目の前の試合は第9エンドにチーム浅間に1点を取らされた形となった常呂協会が
最終エンドに2点とられて危うく逆転負け?という展開。
ここでトリノ五輪でも見たでっかいコンパスのようなメジャーが登場する。
常呂協会のストーンがナンバーツーと判断されてタイブレークに突入。
第11エンド、常呂がミスショットが連発する。
さきほどメジャーで測った際にセンターに穴が空いてしまったらしい。
まあ、これは両チーム同じハンディということで試合続行。
敦賀クンのラストストーンも届かずチーム浅間が勝利。
予選1位を確実なものにする。

常呂協会は朝の試合で東京農大にも敗れているので不覚の連敗!
終了後、敦賀さんに話を聞く。
結婚して子供もいる敦賀さん、冬は朝から牡蠣の加工などの仕事、
カーリングの練習は夕方4時過ぎから、
夜はさらにカーリング教室やジュニアの指導もしている。
かなりのハードスケジュールです。
仕事の都合で彼はカナダ合宿には行けなかったとか。

インタビューが終わったあと、平間コーチと話をする。
敦賀さんは合宿行けなかったんですねえ、
そうです、
スキップが参加しないと練習に支障はないですか?
スキップはオーミヤがいますから、
え ???

そうなのだ。
勉強不足です。失礼しました。
この日本選手権には出場していないがボストンの世界選手権に出場するチーム、
スキップは近江谷好幸という47歳のベテランの選手だそうだ。
近江谷という名前は僕でさえカーリングの記事で目にしたことはある。
オーミヤと読むというのは知らなかったが…。
(あとで調べると長野五輪のセカンドだった選手で、日本カーリング界では有名な人、
 あの有名なシムソンズのコーチとしてソルトレイク出場、娘さんもカーリングの選手。)
日本選手権になぜ近江谷さんが出場していないのかを聞くのを失念した。(ドジ)
もしかしたら…カーリングの役員をしているのでトリノに行ってたのかも?

とにかく、敦賀クンは近年スキップでなく「チーム近江谷」のサードを務めているそうです。

勉強不足で申し訳ありません。
そんな僕にも平間さんたちはやさしく教えてくれました。
居直れば、そんなカーリング事情も含めて聞きたかったのですが。
日本選手権の本番のときに申し訳ない。

でも、青森で来週開催の女子の日本選手権。
あのトリノ代表の5人、「フォルティウス」も出場予定らしい。
こっちにはもっと何も知らない東京の記者やリポーター、
傍若無人のテレビカメラがお邪魔するかもしれません。

軽井沢で日本カーリング選手権の現場を見た総評。
みんながガツガツしなくとも、カーリングのようなのどかな競技もあっていいじゃない、
と僕なんかは思ってしまうのですが…。
オリンピック競技になってしまった以上、のんびり、牧歌的ではいられないのだろう。
トップクラスが向上していかないと底辺も拡がらない。
経済活動と同じで、すでに動き始めてしまったのだ。
競技母体を進歩、拡大、再生産していかないと未来もない。
楽しんでやっている環境の現状維持も困難になる。
好きな仲間だけで、やりたいようにやるから、は通用しなくなってきている。

カーリングに関わる人々が
今後、いかに戦略的に未来を見据えて強化費を集められるか、
強くなる環境をゲット出来るかあるいは政治的に動けるか、にかかっている。
カーリングの選手は別に仕事もあるし普通の人だ。
オリンピックはほとんどがそんな選手の競技の場だった。
金メダルを獲って帰国しても、翌週からは通常勤務に戻っていくのが普通だった。
いつからか新たな商品価値が見いだされ、メダルを獲るためだけに
ステートアマやプロフェッショナルが席巻する大会となってしまった。
トリノ代表の小野寺や林は青森のカーリング場の職員で練習時間には恵まれているだろう。
他の二人も比較的自由な学生、だから出場権を得られたというのもある。
忙しい漁師の敦賀さんはこれからカーリングの競技選手としてどうなるのだろう? 
スキップをはずれるに当たってカーリングを続けるに当たって、
いろんな悩みがあったのだろうなあ。


そんな目線とは別に思うこと。
スカップ軽井沢みたいなシートで試合やってみたいなあ。
カーリングはやっぱり自分でやった方が楽しいのかもしれない。
あるいは、カナダのパブあたりで世界トップの対戦を
地ビールでも飲みながらテレビ観戦してみたいなあ。
出来れば小林さんの解説付きで。

…スカップ軽井沢からの帰り、雲が払われ浅間山が全容を現す。
店主と軽井沢駅の南にあるアウトレットモールで珈琲を飲み松本へ戻る。
上信越道と長野自動車道で帰るがさすがに距離が長い。
運転は苦手なのでけっこう疲れました。

宿のお風呂で疲れを癒す。
この「深志の湯」いいよ。
肌がすべすべする。

本日も「山女や」へ日参。
客同士の会話で、この店予約なしではなかなか座れない、と有名な店のようだ。
一人なのでカウンター席の隙間にもぐりこめたのだ。
今夜も星空。



緑の風に歌う…? 2005/5/29-30

緑の風に歌う…? 2005,5,29
今日は日曜日、南光町のコテージでギターを弾こう。
図らずも2回目の大ちゃんキャンプになってしまった。
体重は70.35、血糖値はずーと80台が続いている。今日は83。
血圧128-76。

…日曜、月曜と南光町自然観察村のコテージを借りる。
メンバーは僕、セルジオ、Y田父子。
当初から参加予定だったファットN西は仕事でキャンセル。
(本人曰く、社畜になり下がっている故だという)
イギリス人のデンも次から次へ仕事が入り都合がつかなかったらしい。
本来の目的はギターの弾き語りをすること。
はっきり言って大学生の時以来、ほとんどやってないのでやりたかったんだよう。

JR三田の駅で父子を拾い中国道で山崎インターまで走る。
今回はセルジオが借りた日産ウインドロードという1500ccのバン。
裸のギターを2台積んでいるのが気恥ずかしい。
昼過ぎの南光町のキャンプ場は日曜とあってテント村が出来ていた。
人気のキャンプ場である。安くて環境がいい。
コテージのチェックイン時間はまだなので
バーベキュー棟でランチタイム。
炭火を熾すセルジオ&Y田父、材料を洗ってカットするぷよねこ&大ちゃん(5歳)
肉厚の椎茸が何ともうまみがある。日本酒が飲みたいなあ。
前日に関西スーパーで買った牛のモモ肉も旨かった。
わさび醤油、あるいは塩胡椒に醤油をつけずにわさびのみ、が旨い。
ただ、量は一人100グラムほどと少量。
ビールからセルジオ持参の新潟は村上の銘酒「〆張鶴」に。
僕はノンアルコールビールの缶と〆張を少々。
3時半頃にコテージに入る。
大ちゃんはコテージがお気に入りで前の客がいるときにも
まだか、まだかとにらみをきかせていたのだ。

キッチンで珈琲を煎れて、音楽の時間。
昼はあんなにいっぱいあったテントが見事に消えた。
若葉をつけた木々が点在する静かな緑のキャンプグラウンド、
「うた本」(何と1980年刊の雑誌)を見ながらそろそろと歌い始める。
手始めにピート・シーガーの「花はどこへ行った?」から。

で、まあ、ひどいものでした。
フレットを押さえる指は痛くて腫れるわ、音域は狭くてすぐに裏返って震えるわ。
始めて15分くらいでやめたくなってきた。
いや、ほんと。

Y田父は珍しく今回は大ちゃんと走り回って遊んでいる。
なかなか良きパパぶりを発揮しているではないか。

夕方、俄雨が降る。
空気が湿って、草の匂いがした。
雨が上がると、西日が差し込む。
誰もいないキャンプ場が金色に染まった。
ギターを持ったセルジオがLPジャケットの写真のようだ。

久しぶりのギターの弾き語りはひどいなが楽しかった。
たくろうの「春だったね」、「たどり着いたらいつも雨降り」、
キャロル・キングの「You've got a friend」、
CCRの「雨を見たかい」、みなみらんぼうの「ウイスキーの小瓶」
カントリー調で歌ったレイ・チャールズの「愛さずにいられない」
(もともとカントリーの曲)
あたりが歌えたかな?という感じ。
最後は加山雄三の「君といつまでも」、梓みちよ「二人でお酒を」
八代亜紀の「舟歌」や北島おやじの「函館の女」にも手を出す。
ま、徐々に歌えるようになればいいし。

でも、久々のギターと歌唱。
カロリー消費は相当なものだったような
…気がする。

夜は軽めに冷やし素麺。
お酒は日本酒を一杯だけ。
昼と合わせて1合ちょっとくらいしか飲めない。
ノンアルコールビールやお茶だけでもいけるなあ。
野外ではそれほどアルコールが必要でない感じ。
大ちゃんは花火をやって遊ぶ。
セルジオは

♪せんこう花火が 欲しかったんだよ

と歌う。
キャンプ場で24時間は入れる風呂にゆっくりと入る。
話をして1時前に寝る。

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人生とは「別件」である 2005,5,30
キャンプ場の朝、7時過ぎに起床。
セルジオのイビキが豪音だったため夜中に目が覚めた。
地響きのような重低音ウーファーだった。
奴の鼻腔は大丈夫なのか?
血糖値測定装置を持ってこなかったので測らず。

快晴、気持ちのいいそよ風が吹く。
チェアを外に出してコーヒーを飲む。
静かな時間。

「人生とは何かを計画しているときに起きてしまう全く別の出来事」
(星野道夫「ノーザンライツ」より)

セルジオと話をする。
「世の中、思い通りに行かんものだなあ、
たいていは思いもしない出来事に振り回されて、人生が変わってしまう」と。
曰く、人生は「別件」に満ちあふれている。
そして、たいていは「別件」が人生に大きな影響を与えている。
平凡な人に限っては…。
天才や英雄は違うのだろう、たぶん。

みんなが起き出して朝食を作る。
ベーコンエッグにベイクドビーンズの缶詰、トマト。
カリカリに焼いた薄切りのトーストに薄目のコーヒー。
弦を押さえた指が腫れている。
左手の指先が固くならないとダメなのです。

大ちゃんは昨日一組だけキャンプしたらしい
青森ナンバーの車に乗った家族連れの子供と友達になった。
同い年の5歳の女の子。
大人が「あの青森のやつら」と呼んでいたので
朝、大ちゃんがその家族の父親を見つけると
指さして言った。
「あ、アオモリがいた!」

腹の調子が悪いというセルジオに替わって帰路の運転をする。
赤松のサービスエリアでY田父子を迎えの車に引き渡す。
セルジオと西宮の回転寿司「スシロー」で昼食、
今津の「やまとの湯」に浸かる。

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初めてのコテージ泊 2005/3/30-31

初めてのコテージ泊 2005,3,30
30日、31日の大ちゃんキャンプの記録。
午前11:30にJR西ノ宮駅でY田父子と待ち合わせ。
大ちゃんは1999年生まれ、今年で6歳だ。
レンタカーはbBという四角い車、以前にも借りたことがある。
テント無しでチェア3脚と食料、ちょっとした照明、調理器具くらいならこれでいい。
駅のロータリーで会ったとき、大ちゃんは僕の顔を不思議そうに見ている。
花粉症でマスクをしてメガネをかけていたし、
前に会ったときより10キロくらい痩せたのでたぶんわからなかったのだ。
大ちゃんに荷物を積みこむのを手伝ってもらう。
自宅から中国道を経由して南光町へ。
途中、山崎のジャスコで買いだし。
大ちゃんは道中ずーとしゃべり続けた。
南光町のキャンプ場に2時半に到着。
今回は初めて6人寝られるコテージ「あゆ」に泊まる。
大きなガラス張りのリビングに薪ストーブがあるコテージ。
一泊¥16000と張り込んだ。
大ちゃんはこの「あゆ」が気に入った様子。
部屋中を見て走り回る。
キャンプ場は平日とあって中学生のグループが一組いるだけ
コテージの周りは至って静か、ほぼキャンプ場全部貸し切り状態だ。
チェアを出して春の日だまりの中、のんびりする。
ちょっと場内を散歩、バーベキューの仕度をする。
大ちゃんは野菜やソーセージを切る。
玉葱を切っていてお約束のように目が痛くなり涙ぐむ。
夕飯はバーベキュー、ジャスコで買った地酒を飲む。
播州の純米酒「雄町」と吟醸酒。
暗くなって部屋に入り薪ストーブに火を入れる。
部屋がいっぺんに暖かくなる。
薪ストーブのパワーおそるべし。
おでんを温め、ゆるゆると飲る。
Y田のオヤジは持参したスコッチをぐいぐいと飲む。
我々オヤジは退屈そうな大ちゃんを無視して
サッカーの日本対バーレーンを観る。
そんなこんなで大ちゃん初めてのキャンプ場泊の一日は暮れていったのです。

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コテージ「あゆ」の朝 2005,3,31
続き。
翌朝はきれいに晴れる。
晴れると何もかも美しく見える。
薪ストーブに火をいれ暖を取る。
炭火でトーストを焼き、ベーコンエッグと珈琲の朝食。
これまで何度も大人の都合で流れてしまった大ちゃんのキャンプも
これでようやくカッコがついたというものである。
別にオヤジのY田が自分で手間かけてセッティングしたわけではないが。
大ちゃんはオヤジよりもおばちゃん達の間で育っているので
女性的というかおばちゃん的である。
あまりゴンタなところがない。
大人しくて扱いやすい子供。
おばちゃん化しているのでキャンプ場に訓練で下りてきたヘリコプターには
あまり興味を示さない。
焚き火にも余り興味を示さないかわりに
コテージの間取りとかトイレの清潔さとか
野菜を切ったりすることに興味を示す。
細木数子のことを知っていたりする。
ちょっと変な少年である。
帰りもまた中国道で2時間ほど。
車中にウイスキーの臭いがする。
ちらと後ろの席を覗くとY田のオヤジが
ペットボトルに移し替えたスコッチを飲んでいる。
困ったもんだよなあ。
大ちゃんより酔っぱらったオヤジの方が扱いに困る。

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Day8 長い旅路の果て 2007/9/1(大阪世界陸上)

僕にとっては今日が正念場。
睡眠時間2.5時間で早朝に入り、男子50キロ競歩をウォッチング。
昼過ぎまでに編集を終えなければならない。

50キロ競歩、前半、中国の選手が2分近く離して突っ走る(歩く)。
中盤であっけなく捕まる。50キロは本当に長いのだ。
1時間以上見続けていてもまだ半分も済んでいないのだ。
選手の労苦は想像も出来ない。
日本の山崎がトップグループで頑張る。
眼鏡堂氏やヒロに 見てる? とメールを入れる。
今日は地上波で放送があるのだ。

山崎は40キロ過ぎで力尽きトップグループから脱落。
極端にペースダウンする。
一杯一杯で頑張っていたのだ。
声援が凄いものなあ。
抜け出したのは世界記録保持者のネイサン・デュークス(豪州)だった。

スタジアムに入り泣き顔になるデュークス、
ラスト20メートルくらいで耐えきれず嗚咽する。
その泣き声を歓声が消す。
長居スタジアムの歴史でもっとも感動的なゴール。
思わず目頭が熱くなる。

2位のフランスの選手も、3位のイタリアの選手も泣きながらゴールする。
素直に、よくやった と声をかけてしまう。
あの辛い道のりをよくぞ耐えたものだ。
たまたま仕事で一部始終をずっと見続けていたから
彼らの“辛く長い旅路”が涙になるのは理解出来る気がする。

それにしても苛酷な周回コースだ。
26周だって?
誰がこんな苦しいだけのコースにしたのだ。
91年の東京はロードの折り返しコースだったような気がする。
3位のイタリアの選手は泣きながらゴールした直後、
帽子かサングラスかをトラックにたたきつけて怒りを露わにしていた。
何があったのかはわからない。
でも、こんな苦しいコース、ぐるぐる回らせやがって
俺たちはイヌじゃねえんだ と言うように見えた。
思索的な選手が多そうな競歩だけに…。
マラソンはいいけど競歩はダメ、陸上後進国なのだ。

その頃、トップの選手に周回遅れの山崎がスタジアムに入る。
中継の連絡船を通じて、山崎はまだ一周残ってる との声が聞こえる。
周回を間違えているのだ。
聞けば、係員の誘導に従ってスタジアムに入ったと言う。
誘導ミス!
山崎はゴール後、倒れ、距離不足で失格となる。

 

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記者会見に出た眼鏡堂氏から報告を聞く。
なんともやりきれない。
責められるべきはミスなのだが、
僕には競歩という競技を日本が軽んじているようで。

…昼過ぎにYTVのTプロデューサーと眼鏡堂氏との会合を予定していたが、
13時から始まった十種競技の棒高跳びが15時を過ぎても終わらない。
申し訳ないが予定をキャンセルする。
終わったのが16時、朝の6時から延々10時間ウォッチングしながら編集している。
まったくタフな仕事だぜ。
夜のセッションが23時まで残っている。

…ラグビーW杯観戦のエアチケット、HISに電話する。
フィンエアーでもKLMでも帰りのチケットが満席で取れない。
名古屋発着なら多少は空いていると言う。

…夜は少しは涼しくなる。
眼鏡堂氏と記者席で観戦する。
今日はスタンドは満員だ。
土曜日で、注目の男子4継の決勝がある。
朝原にとって最後の世界大会なのだ。
アトランタからだろうか。
僕も朝原とともに世界大会から退こう、て次元が違いますね。
スイマセン。

その前に車椅子の1500m男女の決勝がある。
世界から選ばれた本気の頂上決戦だ。
男子ではオーストラリアの本命が最後の直線で射す。
生で見ると最後のスピードに驚く。

表彰式でオーストラリア国歌をよく聞く日となった。

男子4×400mリレー決勝。
編集をストップしてHとS部次長とスタンドにかけつける。
それくらいの役得は許して欲しい。
世界大会にふさわしい盛り上がりを初めて体感する。

一瞬にしてレースは終わる。
日本は5位、朝原が追い込んだ。
アジア新記録!

…ハイライトの52分。
僕の計算とS部次長の尺計算が合わない。
配信30分前でも解決しない。
調べていくと女子4×400mのリザルトが抜けていた。
でも、尺は合わない。
10分前、焦る。
時間がないので見切り発車。
一種目ずつ尺を手動で計ってチェック。
問題の女子4×400mの尺がS部次長の申告と違っている。
キャプションの時間を訂正するだけで事なきを得る。
やれやれ、だ。

…ストレスで(飲む理由には事欠かないね)日本橋食堂で一人飲む。
深夜の食堂で飲んでるおっさん連中もいる。
ガラの悪い大阪弁、しかも大声でどなる。
脅しているように聞こえる。
東京の人間が聞いたら震え上がるぞ。

今回の仕事で気づいたことの一つ。
ワシントンホテル界隈の雰囲気が変わっていたこと。
日本橋の電気街が元気だった頃と比べて…うーん、薄汚れた感じになった。
電気街が元気な頃でも決して上品ではなかったが、ここまでではなかった。
スラム化、無法地帯化する危険性もあるのでは

 

五十にして立ち、惑わず、天命を知る 2007/2/14

世に生を受けて半世紀、今日から“僕の50代”が始まった。
2007年2月14日から2017年2月13日までの10年間。
どんな10年になるだろう?
とにかく、まだ、そして人生は続く、のだ。 

春の雨が降る。
南の方では春一番が吹いたそうだ。
今日一日は自宅で過ごすと決めていた。
雨も悪くない。
体重70.45キロ。

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2月14日の日記を読み返す。
20歳になったときは、1977年 金沢で大学生だった。
30歳になったときは、1987年 フリーになって2ヶ月後に高松へ移り住む。
40歳になったときは、1997年 スポーツの仕事を続けて10年目、
ロクに仕事もせず春にハワイ島8日間 夏から秋にアラスカ二週間の一人旅。
まだ、結婚してなかったんだよなあ。
2007年、50というのは正直一番重いかなあ。
紛れもなく積み重ねた時間の重さだ。
ささやかだが半世紀の幾星霜が我が身にのしかかる。

近年、映画を観ていて、本を読んでいて 思う。
20代や30代前半の感じ方と今とでは明白な断層が存在する。
あの頃、どんな映画を観ても自分を主人公に置き換えていた。
あてもなく 漠として 大海原のように果てしなく広がる未来、
無限大の可能性はひとつ間違えればとんでもない危険をはらんでいた。 
バスを一つ乗り遅れるだけで、まったく違った未来があった。
今、それはただの夢想に過ぎないと知る。
これを知るのに20年かかった。 
大草原の向こうに、あの雪を抱いた山塊の彼方に、何かがあるのでは? 
とあこがれるという感覚はもう無い。

節目の誕生日だからって気のきいたことを書こうとしてるなあ、バカだね。

じたばたするなよ、五十代が来たぞ。
四十にして惑わず、五十にして天命を知る とはよく言ったものだ。
ただ、やりたいことの選択肢が限られてくる ということは、
そんなに捨てたもんじゃない と思う。
人生の50のリスト、あるいは100のリストを実現する確率は
若い頃に比べ格段に高くなっている。
“華の五十代”、“黄金の五十代”にしよう。

…電車で見たJTの車内広告。
「ピンとくるアロマ Roots 缶コーヒー」
直立したネコが可愛い。
WEBページを除くと他にも、直立するアザラシ、直立するハリネズミ もある。
ぷよねこも 五十にして立つ のだ。

…NHK「ゆるナビ」は全て録画して月ごとにDVDに焼いている。
雑誌のコラムのようなゆるい番組がうまく作ってあり感心する。
1月分の3本をいっきに観る。
コラムニストは辺見えみり、淡路島を自転車で走ったり、冬の京都を散歩したりしてるだけ。
語り口はゆるーく、決して大声で騒いだりしない。 自然体がいい。
いくつかのコーナーがある。それぞれ1分から5分までの短いもの。
「○○のない暮らし」「わたしの愛したふとっちょさん」
「しばわんこの和のこころ」「年季もので行こう!」がいい。

選曲がいい。
知ってる曲もいい。
YOU'RE IN MY HEART/演奏:ROD STEWART
You Don't Know What Love Is/演奏:Sonny Rollins
知らなかった曲もいい。
PATIENCE/演奏:GUNS N' ROSES

選曲もさることながらカメラが上手い。
暗い場所でもバカバカ照明を足さずに自然に撮っている。
これって難しい。
自然の音(ノイズ)の使い方も上手い。
他の人はどうなのかわからないが「ゆるナビ」にぞっこんです。
(かといって作りたいとは思わない。制作は“ゆるく”はいかないものだ)

…バレンタインデイです。
一昨日の晩だったか、ヒロがNHKで「サロン・ド・ショコラ」のドキュメントを観ていた。
パリで開催される世界のチョコレート職人によるコンテストだ。
最近はチョコレートのバラエティが豊かになりグレードも高い。
ヒロがふともらす。
「ゴディバとかいろいろあるけど、わたしは明治やロッテの板チョコが美味しいと思うわ」
実は僕もそう思っている。
明治のミルクチョコレートやロッテのブラックチョコ、ふつうにおいしいよね。
それに一枚100円しないのだ。
コストパフォーマンスは高い。

♪チョッコレート、チョッコレート、チョコレートは め・い・じ 

(CMソングの作は浜口庫之介だと思いこんでいたが、調べると いずみたく でした。
 ♪ わたしのカローラ、わたしのカローラ がハマクラ作、どちらも淋しげな短調がいい)

高級ブランドのチョコレートが値段の分美味しいとは決して思わないのだが。
板チョコのあの銀紙に包まれたレトロで控えめなたたずまいも好感が持てる。

…ヒロは雨を突いて近所のプールへ行く。
結婚した頃に出来た西宮のイトマンに通っているのだ。
僕は京橋のコナミなので自転車では行けない。
自転車で5分のところに芦屋浜海浜公園の屋内プールがある。
一回800円で利用できる。
ゴアテックスのパーカーにオーバーパンツ、防水キャップを被って出かけることに。

平日でプールは空いていた。
半分は子供のスイミング教室だが、半分は5人ほどしかいない。
泳いだり歩いたり1時間以上のアクアエキササイズ。
ジャグジーが気持ちいい。
帰りに受付でチョコレートをもらう。

一日家にいて、自転車でプールに出かける。
仕事が無くなったらこんなふうに過ごすのかなあ、と思う。
自転車で3分の図書館があり、5分のプールがある。
悪くない。

…誕生日、夕食は豪勢にステーキ。
身体のことを考えて赤身のもも肉(二人で200g)にしたのだが、
やっぱり霜降りのサーロインの方がステーキにするなら美味しい。
一人80グラムくらいでいいからこれからはサーロインにしよう。

プレゼントは錫製の酒器セット。
一合入るちろりと杯が3つ、木箱に入っている。
奥播磨「純米吟醸 袋しぼり 第35号酵母仕込み 15BY」を飲む。
ヒロもうなる旨さ、15BY独特の香ばしさ。

 

クライミング初体験記 2006/4/13

雨が降りそうな陰鬱な空。
7時半過ぎに起床、今日は午前中に予定がある。
体重70.25キロ。

…9時に自宅を出る。
西ノ宮駅から塚本駅まで15分ほど。
駅のロータリーから歩き出す。
雨がぽつりと落ちてくる。
居酒屋、美容院、交番、コンビニが並ぶ路地を歩く。
淀川区塚本、○○鉄工所、○×溶接所、××工作所、
アセチレンの光と音、工業油の臭い、「貸文化住宅」ありますの張り紙、
日当たりの悪い○×サニーハイツ、銭湯の看板…、
ボクシングジムの似合う風景を15分ほど歩く。

シティ・ロック・ジムは新幹線の高架沿いにあった。
前が駐車スペース、倉庫のような建屋の外壁は10メートルのクライミングウォール。
中に入って受け付けを済ませる。
レッスン料(レンタルシューズ代込)で4200円也。
屋内にはSF映画のセットのような人工壁。
怪物の体内に潜入したかのようだ。
ジェーン・フォンダが主演した宇宙映画「バーバレラ」を思い出した。
平日の午前中とあってクライマーは少ない。
フランス人らしき外人が数人、若い男が二人ほど。
あと70歳近いだろうという職人風の老クライマーが壁に取り付いている。

 

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足袋のようなクライミングシューズを履いてレッスンが始まる。
インストラクターはちょっと向井万紀夫さんみたいな髪型、
小柄だが鋼のような身体の30代の男だ。
最初は器具の説明、ザイル、ハーネス、カラビナ、確保器等。
次にハーネスを付ける、ロープの結び方を覚える、エイトノット。
ロープで安全を確保して室内の壁を登る。
トップまで登り、手を離して確保(ビレイ)の練習。
反対に僕が確保者(ビレイヤー)になってインストラクターが落ちてみせる。
次に外壁、10メートルに登る。
高所恐怖症の人には絶対に無理だろう。
トップがちょっとオーバーハングしているのが怖い。
登ってみてください、と言われ登り始める。
決して楽ではないが何とか完登する。ちょっと嬉しい。
確保器で懸垂下降で下りる。

クライミングは(特に初心者は)すぐに腕がパンパンに膨らむ。
僕の二の腕も血管が浮き出て超人ハルク状態になる。
これは乳酸が溜まってしまうからでレスト(休憩)しなければいけいない。
室内のマットに坐り20分ほど手を休める。
だからクライミングは1時間では3回か4回しか登れないのだ。
普通は2時間か3時間やってきますね、とインストラクター。
うーん、時間がかかるのかあ。

休みながらいろいろと話を聞く。
日本のフリークライミング事情、何だか取材しているようだ。
インストラクターは中貝次郎さん、日本でも有数のクライマーらしい。
去年はフランスに遠征してガンガン登っていたそうだ。
こちらの素性も明かして平山ユージと安間クンら10代の若手との力関係を聞く。

「うーん、はっきり言うとユージから見れば安間クンらはハナクソみたいなものですね」
結論を言えば、そうらしいのだ。
確かに今の中学生や高校生は凄いしテクニックもある。
いわゆる大会、コンペ、たとえば、
ジャパンカップや日本選手権で惜しいところまで行くだろうし、
ある大会ではユージに勝つことも不可能ではないけれども、
この世界ではそれでユージより上とは誰も認めない。
(これまで何度か国内大会でユージを敗った選手もいた)
短期決戦ではそうだが、年間を通しての総合ではまだ誰も勝てない。
それでも当然ながら安間クンらにとってユージに勝つということは大きな意味があるのだが。

しかし、ユージは越えられない大きな壁だ。
「ユージも16歳くらいのころから凄かったが、スケールが違う。
 彼の場合は16歳、17歳で世界のトップのクライミングをしてましたからね」

平山ユージの凄さは…
単身フランスへ渡った。
世界中の岸壁を登り、数々の未踏のルートを征服した。
たとえば、ヨセミテのサラテルートのオン・サイト。
(これは世界でも無茶苦茶凄いことらしい)
それともうひとつは大会(コンペ)にも強かった。
競技ではセッティング一つで選手に有利不利になる。
ホールドの位置を変えればいいのだ。
体格が違う自国の選手に勝たせるためには
ヨーロッパでは露骨にそんなセッティングをしてくるらしい。
(そこが五輪種目になるための障害の一つでもあるらしい)
そのヨーロッパのコンペで平山ユージは勝ち続けた。
ゆえに尊敬を集めるサムライとなり得たのだ。

それともう一つ、
このクライミングの世界ではコンペだけやっているクライマーは尊敬されない。
やはり、自然の壁をリスクを冒して登る勇者が尊敬を集めるのだ。
「ユージは本当にいい奴ですよ」と中貝氏は言った。

20分ほど休憩しレッスン再開。
今度は10メートルの外壁をピンク色のホールドだけを使って登る。
最初は快調、しかし7メートルくらいの高さで行き詰まる。
つかむホールドに手が届かず何度も持ち替える。
両手のポジションや足のポジションを変え何度もトライする。
その間は壁に張り付いたまま、当然つかむ腕が消耗する。
手足それぞれのポジションがパズルのようなもの。
頭を使え、答えを見つけだせ。
しかし、消耗は激しい。
確保されているとは言え7メートルの上空、静かな恐怖。
次のホールドをつかむために何度も墜落する。
腕がパンパンで全く動かなくなる。
もう何度も死んだ。
ようやく降ろしてもらう。

両腕は乳酸が溜まりまくり、パンプ(PUMP)という状態。
これは30分以上は使い物にならない。
また、話を聞く。
「腕力じゃないですね。懸垂が何回出来ても登れないですよ。
 ぶら下がる能力の方が大事です。それよりバランス、身体の柔軟性、考えること」

他のクライマーは自分自身のルートで何度もトライしている。
静かなスポーツだ。ジムにはロックミュージックが静かな音量で流れている。
クラシックやエンヤの方が似合うのではないだろうか。

話の続き。

日本選手権を見に行ったら面白いですか?

いや、一般の人が見てもぜんぜん面白くないですよ、たぶん。
クライミングをやってる人じゃないと観戦しても退屈ですよ。

解説者が必要ですね。

そう、マラソンも誰かが実況、解説していないとつまらない。
淡々としてますからね。
クライマーが何を考えて、次は何を狙っているかを解説しないと。

カーリングに似てますね。
カーリングも現場で見るとなかなか集中出来ない。
いい解説者が不可欠ですね。

テレビの取材はよく来ますけど、? ですね。
紹介のされ方はいつも女性のフィットネスに最適、トレンド、みたいな。
テレビ関係の人が競技を知って貰うのは嬉しいです。

その後は屋内の人工壁でトラバース。
上に登るのではなく横移動。
実は自然の岸壁ではこのトラバースが必要とされる。
10メートルほどの横移動。
それほど難しくはないのだが、手がホールドをつかめない。
結局、時間切れ。
まずはこのビギナーズ・トラバースが目標だ。

「最初のうちは週に2回くらいはやった方がいいですよ、
 筋肉が出来てくるまでは週一ではなかなか出来ない。」

帰りは十三へとと歩く。
十三公園の桜が満開だった。
北野高校の前を通り十三大通りへ。
「大阪王将」で餃子を食べる。
阪急十三駅前の立ち飲みに心誘われながら梅田へ。
さあ、ニュースデスクだ。

…ニュースデスクを終える。
年寄りになるとお菓子の袋がうまく破れなかったり、
瓶の蓋が開けられなくなったりするらしい。
今はそんな状態。握力が半分以下しかない。
次はいつ行こうかな?
でも筋トレにはなるが有酸素運動にはならないね。

 

 

冬至にクラリネット 2007/12/22

今日は冬至、朝から雨が降っている。

夏至は英語で summer solstice、冬至は winter solsticeと言うらしい。

だから? というような訳だ。

7時半に起きてデスクに向かう。

ジョギングは出来ないからのんびりしてしまう。

 

佐世保の乱射、続報は犯人の狙いとその動機ばかり。

インストラクターの倉本さんを狙い撃ちしていた、という証拠を並べる。

警察の発表はこの手の話を小出しに発表しているだけなのだろうな。

新聞は明らかに情報操作されていると思う。

危険人物に銃を与えてしまった責任は?

あるいは許可した理由は?

簡単な手続きで許可される、と新聞もテレビも強調する。

でも、たとえば僕が西宮署に突然銃の許可申請をしたら、そんな簡単に下りるのか?

所轄の警察官にその理由をねちねちと聞かれるだろう。

猟をどこで誰とするのか?なんで猟をしたいと思ったのか?他に趣味はないのか?

制度上は簡単でも、警察の責任問題だ、よほどの意志がないと許可されないと思う。

長崎では簡単なのか、それとも犯人の家庭が警察に強烈なコネを持っていたのか。

新聞、テレビでなく週刊誌の取材を待つしかない。

 

…年末のマッカラン友の会。

恒例になっていた南光町のコテージを予約した。

ずっと満室だったが予想通りキャンセルが出たのだ。

西宮から片道2時間、ちょっと遠いのが

 

…佐々木譲「警官の血」上を読み始める。

昭和23年、焼け跡の上野で職を探す主人公が「警察官募集」の記事を目にする。

常宿であるドーミーイン秋葉原の周辺の広小路、アメ横、上野公園あたりが舞台だ。

ぐいぐいと読み進む。

 

…連日の芸術文化センター通い。

強まる雨足、川沿いを30分ほど歩き阪急夙川駅、一駅だけ乗って西宮北口駅。

 

今夜も小ホールでのジャズ。

クラリネットの北村英治+竹下清ピアノトリオ。

数ヶ月前に大野雄二のチケットを予約する際に、

ヒロが、同じ週の土曜日に北村英治もあるけどどーする? と言う。

行っとこう 見納めかもしれん、と僕。

正直、その時点では、あ、北村英治ってまだ生きてるんだ、と失礼なことを思ってた。

雨の中、歩いてホールへ来る途中でも、

ばあばあと同い年だもんな、ステージは休みながら吹くんだろうな、

ピアノトリオだけの演奏もはさむんじゃないのかな、

枯れた感じのライブなのだろうな、正直ちょっと心配だね、と話す。

 

午後5時、コンサートが始まり北村英治が登場する。

いきなり十八番の「素敵なあなた」だ。

クラリネットも大きな音で良く響く。

ピアノやベースと掛け合い、ドラムスとチェイス、

78歳とはまったく思えない。

 

そして、開口一番、今日はこんなに音のいいホールなので

PAは使わず出来るだけ生の音で聴いてもらいます、と挨拶する。

トークも滑らかで全く老人っぽくない。この人すごいなと思う。

 

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クラリネット、いいですね。

よく歌います、その音色は人間の声のようだ。

本人の言葉を借りれば“バリバリ”のスイングナンバーもいい。

楽しいジャズ、明解なジャズだ。

そして、本人の言葉を借りれば“うらぶれた”音で吹くバラードもいい。

アマポーラ、ひまわり、メモリーズ・オブ・ユー…。

涙がこぼれる。

この“切なさ”がたまらない。

 

80年代の始めだったか、東芝のオーレックスジャズフェスティバルがテレビで放送された。

ペニーグッドマンとテディ・ウィルソンが奏でる名曲「身も心も」を思い出す。

80近い爺さん二人の演奏はそれはそれは切なく素晴らしかった。

聴いただけで条件反射的に目がうるんだ。

言葉で泣くのでなく、音で泣いた。

 

たぶん休みながらやるんだろうな、なんて失礼なことを言ったものだ。

ヒロと顔を見合わせて、めちゃ元気やん、と声に出さずに言う。

78歳の演奏家が現役でバリバリ吹いている。

そのことに強く感動、嬉しくなった。

 

先日、知り合いのさこ大介さんのライブを見た。

60歳になったばかりの大介さんは一曲歌うとぐったりして休んでた。

だから78ならなおのこと、と思ってしまったのだが。

ま、大介さんはアマチュアだし、飲みながらだしな。

 

北村さん枯れてない。

きっとまだ助平なんだろな。

 

コンサートが終わってふと思う。

最近、どっかで北村英治に似た人に会ったぞ、としばし考える。

あ、そうだウイリアムスだ。

松屋町の立ち飲み、木下酒店の大将ウイリアムスが北村英治そっくりなのだ。

(その立ち飲みは外国人にウイリアムス酒バーと言われている)

そういえば北村さん、商店街にある洋品店の店主にいそうなタイプだ。

 

…夜になっても雨は止まない。

帰って柚子湯につかる。

トリノ雑感 2006,2,19

7時起床。
昨日も遅くまでトリノ五輪で就寝が2時近くになる。
WEBでカーリングの結果をチェックする。明け方のスエーデン戦だ。
タイブレークの末、7-8で敗れる。
最終エンドに日本が1点を入れタイブレークに持ち込んだのだ。
持ち込めても11エンドは先攻だからなあ。ドローショットで万事休すって感じだったのかなあ。
ネットで観ると、延長11エンド、日本はハウスに3つも入れ圧倒していた。
ガードも万全に見えた。
しかし、スエーデンのラストストーンは僅かなすき間を縫って…円の中心へ寄った。
ナンバーワンストーン、勝負はこんな風に決したらしい。
予選トップのスエーデンのスキップは
「日本はこれまでの相手で一番手強かった」と賞賛。

ジャンプのラージヒルも岡部の8位が最高、ショートトラックの神野も転倒。
厳しいアウェイの闘いが続くトリノであります。

…昨日は6時間以上もトリノ五輪のLIVEを観た。
カーリング女子の日本対カナダの試合は見応えあった。
折しも、カーリングの小説「シムソンズ」を読み終えたばかり、
ちょっとばかり知識が増え、いっぱしのカーリング解説者になっている。
ドローショット、カムアラウンド、ヒットアンドステイ、ヒットアンドロール、
ダブルテイクアウト、ガードストーン、コーナーガード…「シムソンズ」で覚えた。
映画化されているこの小説のモデルが27歳になるスキップの小野寺とサードの林。

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YTVスポーツの薄型液晶大画面で第1エンドから観戦。
解説者も的確な説明で分かりやすい。
試合は第3エンドに日本が敵のミスに乗じて2点先取。
圧巻は第4エンド、このまま終わればカナダに大量3点が入るかも、というピンチ。
スキップ小野寺が奇跡とも思えるダブルテイクアウト!
相手のストーンを2つともハウスの外へ出し、自らがステイするスーパーショットを放つ。
さらにノーミスで後半へ。強豪カナダが調子を取り戻す前に決着をつけたい。
カナダの戦略をことごとく小野寺がひっくり返す。

観ながら次のショットの狙いを予想する。それも徐々に的確になってきたぞ。
ああ、わざと点をとらない作戦も有りなんだ、
1点だけ相手に与えるってのもあり、
あ、これはガードストーンの陰にとめるショットかあ、
ハウスの中で自分たちのストーンを並べるときは平行に置くのか、
あ、なるほどダブルテイクアウトされるのを防ぐためか。

日本のペースで安心して終わるという感じだったのだが、
3点差以内ならカーリングは最終エンドが勝負なのだ。
最後の最後まで緊張を強いられるショット、ミスは許されない。
ラストは小野寺の素晴らしいヒットアンドステイが決まって日本が快勝!
カナダはカーリングの本場で永らく常呂町を指導する国だっただけに感動も大きい。

カナダチームは面白いことに4人とも眼鏡さんだった。
サードの若い子はニクソンというコーチの娘、
クラス委員然として眼鏡をとるとはっとする美人だったりする。
スキップは厳しい指導で知られる音楽教師、という感じ。

カーリングはスコットランド発祥のゲーム。
ハイボールでも飲みながら、ゲームを観戦、あれこれ言うのが楽しいだろうな。
ペースがゆったりしていて、予想する余裕があるからだ。
ゴルフや野球に通じるところがある。

…さらに女子クロスカントリーのリレーでも感動!
4×5キロ、前半の二人はクラシカル走法、後半の二人はフリー走法。
日本はこのリレーでなんと1区のラップを奪う快挙!

第一走者はスプリントで入賞した福田修子。
前半はしぶとく集団につく。入賞狙いだからこの戦略でいい。
そんな感じでレースを観ていた。
4キロ過ぎの登りでフィンランドやノルウェーなど北欧の強い選手が仕掛ける。
続く長い下りでいっきにその差を拡げる。
しかし、中継地点まで200メートルあたりで福田の姿が先頭集団に見える。
お、なかなかいい感じだぞ、実況アナも解説も「あ、福田いいですね」
ここから福田がトラックを移動してノルウエーの前に出る。
さらにラストスパート、いっきにフィンランドを抜いてトップに立った。
そのまま中継エリアへ。
驚く日本チーム、なんと日本がラップを獲った!
実況も解説も「すごい、すごい、日本トップ!」と声も裏返る。

日本も驚いていたが、ヨーロッパの選手達もあっけにとられていた。
これは実は凄いことなのだ。
僕も長野五輪のクロカンの中継Dをしたのでその実力差はわかっている。
福田には悪いが、正直信じられないシーンだった。
解説の佐藤さんの声が裏返るのも無理はない。

そのあと日本は第2走の石田が転倒、結果は12位に終わった。
しかし、あのシーン、あの一瞬観ただけでも価値があった。
福田は青森大鰐町出身の25歳、津軽娘の歴史的快挙でありました。
(素顔は2/15の日記でご覧下さい)

…今日は法事、朝から相川のヒロの実家へ行く。
1時間弱の正座、完全に足の感覚が無くなった。

…自宅に戻って日記を書く。
夕方から曇り空の下をジョギング。
体調がイマイチなのでどうかな? シンドかったら歩けばいいや、と走り始める。
ありがちなことだが走り始めるといつもより調子がいいぞ。
好調なペースで走りきり満足する。
山梨学院出身の某ランナーも言っていたが、長距離にはこういうことがあるから難しい。
感覚では計り知れないものがある。
反対に身体の感覚はゼッコーチョーなのに走り始めると「おかしいなあ」ということもある。
ビーチウォークにて、腕立て伏せ20回+腹筋10回。

カーリングの小林さんから大いに学ぶ 2006,4,7

(神保町サクラホテル)
西国分寺の駅前ロータリーで眼鏡堂店主と合流。
Number 編集部のK氏と挨拶して山中湖へ向かう。
K氏は東大のラグビー部でまだ20代半ばと若い。
店主の傷だらけのウイングロードは国立駅前の桜並木を行く。
見事な桜の古木が続くブールバードは圧巻だった。
並木の道沿いには雰囲気の良さそうな珈琲店や雑貨、食堂が点在する。
ここなら住んでもいいなあ、なんて思う。

中央フリーウェイを西へ。
このところ東奔西走である。
今日は山梨県は山中湖にあるカーリング場へ行く。
長野五輪の競技委員長であり、トリノ五輪のジャパンプールの名解説でおなじみ、
あの小林さんの所有するカーリング場「カールプレックス フジ」であります。
店主がWEBに書いた記事「カーリングの小林さんを知ってますか?」や
その後の取材を通じて親交が深まり、僕らも便乗することになった次第。
神宮のアイススケート場ではなく、公式のカーリングシートで出来る。

富士は頂を雲に隠していた。
天気は上々、山中湖まで1時間半の道のりだった。
湖畔のデニーズで昼食をとり、ちょっと迷って目的地に到着。
笑顔の小林さんの出迎えに感激する。
あの「トリノ五輪のカーリングの小林さん」だぁ。

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蒲鉾型のドームに入る。
小林宏さんはどこかNHKの古参アナウンサーのような風貌。
(狸か狐かと言われたらタヌ系の顔 歳は50代半ばかな?)
しかし、アナウンサーにありがちな尊大なところは無い。

挨拶もそこそこに小林さんの解説が始まる。
生コバヤシのカーリング話である。
トリノ五輪、スキップ小野寺の苦悩の48時間の話、
そして、カナダの英雄ラス・ハワードの高度な戦略の話。
生で冷静と情熱の間にある小林さんの名解説が聞けたぞ。
ベリー・インポータント・ショットならぬ
ベリー・インプレッシブ・モーメントでありました。

シートは2面。
小林コーチが直に指導してくれるのだ。
「2時間か3時間あればゲームが楽しるまでになりますよ」と嬉しい言葉。
基礎練習、なんと最初からスイーピングの練習だ。
(あのブラシでこする動作です)
デリバリーからハウスに届くまでが約20秒だという。
その20秒を全力でスイープする。
無酸素運動、息が上がる。
その後はゆっくりと氷上を滑ったり、ストーンを投げたりする。
神宮スケート場とは比べものにならないくらいに滑る。
軽く押し出しただけで30メートル先のハウスをオーバーしてしまう。
「これがオーガスタのグリーンですよ」と満足げな小林コーチ。
オリンピックの試合も可能なコンディションなのだという。
40分も立たないうちに
「じゃあゲームをしましょう」となる。
2対2、一人二役で各8投ずつ、4エンドまでやることになる。
相手は店主とナンバー編集部員の二人。
スイーピングも加えて本格的な試合は初めて、嬉しいね。

 

そして、これが白熱したゲームとなる。
僕のチームは第1、第2エンドと一点ずつ奪われ0-2、
最終エンドに向け第3エンドはスコアレスに持ち込み、
後攻のまま、第4エンドを迎えようと作戦を立てる。
しかし、スキップの僕のストーンがハウス内にとどまり1点獲ってしまう。
1-2で迎えた最終エンド、ガードストーンを置き大量点獲得を狙う。
かくして、狙い通りに展開する。
僕のラスト2の一投が相手のナンバーツーをテイクアウト!
ハウス内に赤いストーンが3つ残った。
4ー2で最終エンドで逆転勝利!
いやいや、嬉しいものです。
第3エンドからほぼ思い描いた展開で進み最後は好結果で終わる。
これって何だか、すごく楽しいぞ?

小林さんによると
僕らのような超ビギナーでも戦略(タクティクス)は最高のところで考えるべきだと言う。
技術は徐々にアップし、戦略に追いついてくるものらしい。
反対に技術に戦略を合わせてしまう(つまり低いところに目標設定する)と
それ以上、技術も戦略も伸びていかない。
7th Ining Cafeで長谷川滋利が言っていたことと通じるのではないか。
メジャーリーグで成功する人の条件は?と問われ、彼は言った。
「技術はそれほど問題じゃない。大事なのは頑張れる何かを持っていること」
理想をどこに置くか、が重要、
そして、その理想を抱くことが出来るかどうか、はその人の人間としての資質を問われる。
いやあ、カーリング、馬鹿に出来ませんね。(僕はしてないけど)

 

4エンドまでは4-2で勝ち。
まだ時間があるということで延長の最終第5エンドに突入。
僕らは2点差を守ろうという戦略で臨んだ。
相手に1点までなら、あるいはスコアレスなら勝ちだ。
しかし、ミスが重なり徐々に相手ストーンがハウスに溜まる。
あ痛!と思ったときには遅かった。
相手ストーンが3つハウスに残り大逆転を許す。

守りに入ったのが敗因、だから小林さんが言ったではないか。
理想は最高のところに置くべきだと。
その前のスコアレスは逆転をするための布石としての戦略だった。
いわば、攻めのタクティクス。
しかし、この第5エンドのスコアレス狙いは守り。
戦略的には正解だが、理想が低く、安易だった。
そこに油断が生じる。結果はかくのごとし。
いやあ、カーリング、勉強になりますね。

そんなこんなで4時間以上を過ごす。
小林さんはカーリングが好きで好きでたまらないのです。
この場所に来たことで。僕らがとても幸福な気分になれたのは
そんな小林さんのカーリングへの愛情が伝わってきたからだと思う。


…夕食は国立の老舗洋食喫茶「ロージナ」にて。
京都にありそうな歴史を感じさせるレガシー系の趣。
店主にもらった山口瞳「行きつけの店」に登場した店。
ザイ・カレーという激辛カレーを食べる。
ビールはベルギーのシメイビール。
充実した一日に乾杯!です。

4月 7戦全敗。