2013/3/16 白馬スノーハイク Day 3


【行動メモ】
朝から快晴、少しだけ白雲が浮いている。
チェックアウト後、岩岳スキー場へ移動、わずか5分のドライブ。
ゴンドラリフト ノア で山頂駅までいっきに登る。
山頂南側のスノーシューフィールド「ねずこの森」を1時間半ほど歩く。
11時過ぎに戻り車で移動、みねかたスキー場の先にある集落でフクジュソウの群落を見る。
松川大橋でラストショットを撮影、一路松本へ。
レンタカーを返し駅へ行くと乗る予定の大阪直通しなの16号が大幅に遅れているとの知らせ。
篠ノ井駅付近の踏切でトラックが脱輪したらしい。
ならば、と蕎麦ランチ。
30分遅れで出発するも塩尻駅通過後に強風の為ふたたびストップ。
(風なんて吹いてなかったのに…?)
結局、大阪に1時間遅れで到着する。


初めて野生のフクジュソウを見た。
その美しさ、花のかがやきに思いがけず感動してしまう。
花を見てドキドキすることって滅多にない。
  



…ペンション「テントキーパー」にて目覚める。
ヒロが5時半に起きてずっと山を見ている。
朝焼け、モルゲンロートを待っているのだ。
果たして5時50分頃、白馬が一瞬バラ色に染まった。
気高く美しい瞬間だった。
ペンションの部屋からモルゲンロートが見られるなんて。
  


朝7時半、食堂からの白馬連峰
  


ここのオーナーご夫婦はぼくらよりもひとまわり上の60代半ばでしょうか。
ソローの「森の生活」を思わせる二人っきりの静かで質素な暮らしのご様子です。
薪ストーブの横にたたみが一畳置いてあり、おそらくここで横になって昼寝するのでしょう。
このペンションのお客さんの中では僕らは若者だそうです。
  


土曜日とあって岩岳のスキー場は朝から賑わっていた。
山麓にはクロスカントリーのコースもある。
ゴンドラリフト ノア で山頂駅まで行く。(往復1700円)
白馬山麓のゴンドラリフトは八方尾根のアダム(過去2度)、栂池のイブ(過去2度)、そして岩岳のノアも今回で2度目だ。
不肖ぷよねこ登山隊、恥ずかしながらけっこうお世話になっているなあ。
  


スノーボーダーに混じって山頂駅に着き登山届けを出して「ねずこの森」を歩く。
1時間ほど歩くだけなのにゲレンデ以外を歩くので届けが必要なのだ。



ねずこの森ウォーキングフィールドはこんな感じのエリア。
ブナやミズナラ、カラマツの森です。
昨日の朝、麓から見上げるとこのあたりの森に一面霧氷がついていた。
青空に霧氷、しかもこの山岳展望は素晴らしかっただろうな。
白沢峠をやめて午前中にここに来ていたらば良かったかな、とタラレバ。
次の楽しみにしよう。
  


30分ほど歩くと白馬大雪渓への登山口にあたる猿倉あたりの展望が開ける。
ねずことは右下の写真にある大きな針葉樹、森の番人と呼ばれているらしい。
  


僕らのスノーシューは深雪を歩く仕様のタブスとアトラスというアメリカのブランド。
買ったのは2006年だから7年前になる。
山の道具も続々と進化を遂げて今や旧式のスノーシューになってしまった。
でも、新雪の森には圧倒的な強さを誇るのだ。
今回、ヒロは新しいウエアをおろした。
モンベルのストームクルーザー、白銀に緑が映える。
  


岩岳のスキー嬢は日本屈指のロケーションだ。
今日ほどスキーが出来る人をうらやましいと思ったことはない。 


お隣の八方尾根、長野オリンピックアルペン滑降の会場となったところだ。
当時、スタート地点の選定で問題になっていたことを記憶する。
見るとほとんどスキーヤーの姿が見えない。
  


岩岳(いわたけ)は学生スキーの大会の会場として有名であるらしい。
今やゲレンデはスキーヤーよりボーダーの姿が目立つ。
スキーもほとんどの人が短くて太い板で滑っている。
カービングスキーなのだろうか。
確かに初心者には安定性が良く操作が簡単そうに思える。
今のスキー事情は詳しくない。
  


今のスキー事情に詳しくない、と書いたが昔のスキー事情だって僕は知らない。
僕らの世代、街の若者は冬になるとスキーに行った。
でも、僕は行ったことがなかった。
どうしてかって?
うーん、特に拒む理由もなかったはずなのに……。
要するにその手のスポーツをチャラい娯楽と見下していたのだ。
クルマ、オートバイ、サーフィン、スキーとは全く縁がなかった。
そんな友達も周りにいなかったし。
思えば暗い青春だった。
  


でも、少しくらいはやっておけばよかったなあ。
基礎が出来ていれば今からカービングスキーとかテレマークとかを習うのも楽しいだろう。
ちょっと前の日記に「「三十路の心得10箇条」について書いた。(書きかけだけど)
http://janesuisjapanese.blogspot.jp/2013/02/vol6-10.html
その中に「馬鹿にしていたことをなにかひとつ始めるべし」というのがあった。
後悔とともにズシンと胸に突きささった。
この10箇条に従い、せめて30代にスキーを始めておけば、と今になって思う。
いや、青春時代に(たいした理由もなく)バカにしていたことのいくつかをやっていたら、人生はもっと楽しくなっていたかもしれない。


  


生まれて初めてスキーをしたのはイタリアだった。
凄いでしょ。
生まれて初めてクルマを運転したのはハワイ島だった。
凄いでしょ。
そんなことを自慢するのが楽しかった。
でも、イタリアの人生初スキーは悲惨だった。
1992年、すでに35歳。
今、石垣島に住むミネーロとイタリア国内を2週間、バックパックの旅をした。
電車に乗れるレースパスを買ってたまたまトリノの北のアオスタという街に泊まった。
ここまで来たらヨーロッパーアルプスでスキーをしようという話になった。
翌日、バスでモンブランの麓にあるクールマイヨールという山岳リゾートへ行った。
アトミックというスキー板をレンタルしてゲレンデへ出た。
一日パスを買いリフトに乗った。
リフトを下りた。
周囲は霧に包まれていた。
かなり高い場所まで登ってしまったことに気がついた。
全くスキーなんてしたことがない人間がこんな場所から麓まで下りられるだろうか。
恐ろしい急斜面だった。(僕にはそう見えた)
ミネーロは普通に滑っていくことが出来る。
少し手ほどきを受けたがボーゲンが通じるような斜度ではなかった。
体重を谷側にかけろと言われたが恐怖心に勝てなかった。
当然、滑り落ち、何度も転倒した。
立ち上がるたびに体力を消耗した。
ミネーロに悪いので、なんとか自力で滑り降りるから行ってくれ、と見栄を張った。
彼は颯爽とアルプスジャイアントコースに消えていった。
そこからが地獄だった。
楚南するかと思った。
斜面を這うように下りた。
何度も転び何度も立ち上がった。
体力は限界だった。
麓が見えてきた。
斜度もゆるくなった。
少し安心してスキー板で滑ってみた。
止まらない。
レストハウスの雪だまりにつっこんだ。
気がつけば身動きがとれない状況になっていた。
ホントに手足が全く動かせないのだ。
雪は重く僕の身体をがっちりと固めていた。
動かせるのは指くらいだった。
顔の前にはわずかなスペースしかない。
窒息するかも!
恐怖心が支配する。
そのとき、足が引っ張り出された。
肩をつかまれた。
身体を押さえつけていた雪の重みがなくなった。
揃いのウエアを着た頑強な男が二人、僕を雪の中から引っ張り出してくれたのだ。
レスキュー隊員だった。
グラッツェグラッツェ、へらへら笑いながら僕はそう言うしかなかった。
(雪崩って恐ろしいものだとこのとき、初めて知った)



救助されたあとにミネーロが撮った写真です。
笑ってる場合じゃなかったちゅうねん。
スキーウエアも持っていなくてパーカーとセーター、街着のまま滑っていた。
オーバーパンツさえ履いていないのでパンツはびっしょりだ。
それにしても、背後の雲海の素晴らしさを見よ!
写っていないけど雲海の上にはグランドジョラスなど名峰が連なり、僕の目線の方向にはモンブランが迫っていたのだ。
    


今にして思えば栂池や岩岳にあるような広くてゆるい斜面だったら滑ることが出来たのに、と思う。
リフトを下りた時にミネーロが、ちょっとこれはヤバイかなあ、という顔をしたのを僕は今でも思い出す。


…お昼前、フクジュソウが咲いているというテントキーパーのオーナーの情報でHという集落へ行く。
国道から少しはずれて山道を行くと、静かな谷間の日だまりの中にぽつんと2軒の農家があった。
道の脇に車を停めて歩いて家に近づくと、腰の曲がった爺さまに、どっから来た? と尋ねられた。
大阪からフクジュソウを見に来ました、というと、ふーんと驚いたような顔をして場所を教えてくれた。

  


少しだけ白馬の峰が顔を出す。
この控えめな見え具合がいい。
  


初めて野生の福寿草を見た。
  


うわあ、光ってる、とヒロが声に出して喜ぶ。
お花を見て感動したのはいつ以来だろう、とも言う。
大峰山ヤマシャクヤクを見たとき以来かもしれない。
人知れず咲く美しい花は人を感動させるのだ。
  


谷間の村、ここは雪解けが早くすでに地面が見えている。
5キロほどしか離れていないペンションのある落倉高原では今も2メートルの雪があるのに。
  


造花みたい、とヒロが言う。
そんな誉め方はない。
  
  


…最後に松川大橋から白馬2泊3日、締めの一枚を撮る。
  

次は初夏か、紅葉の秋か、また冬に来るかも知れない。