冷たい雨の一日でした。
六甲山がまあっっっっっっっっっったく見えない。
天はこれほどに私の聖なる生誕日を祝福しようともしない。
誕生日が来るたびにミック・ジャガーのことを思い出す。
村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」を読んでからのことだ。
その本の最初にこんなことが書いてあった。
2007年に出た本なので村上春樹は58歳、ミック・ジャガーは64歳だった時の話。
僕は今、50代の後半にいる。
21世紀なんてものが実際にやってきて、
自分が冗談抜きで50代を迎えることになるなんて、
若いときにはまず考えられなかった。
(中略)
ミック・ジャガーは若いときに
「45歳になって『サティスファクション』をまだ歌っているくらいなら、死んだ方がましだ。」と豪語した。
しかし実際には彼は60歳を過ぎた今でも『サティスファクション』を歌っている。
そのことを笑う人もいる。
しかし、僕には笑えない。
若き日のミック・ジャガーには45歳になった自分の姿を想像することが出来なかった。
(中略)
そして現在、僕はその「想像もつかなかった」世界の中に身を置いて生きている。
そう考えるとなんだかおかしくもある。
僕にとって-あるいはほかの誰にとっておそらくそうなのだろうが-
年をとるのはこれが生まれて初めての体験だし、
そこで味わっている感情も、やはり初めて味わう感情なのだ。
以前に一度でも経験したことであれば、
もう少しクリアにいろんなことが腑分け出来るのであろうが、
何しろ初めてなのでそんな簡単にはいかない。
(村上春樹「誰にミック・ジャガーを笑うことができるだろう?」より)
この本を読んだ2007年は僕がフルマラソンを完走した年で僕も習慣的に毎朝走っていた。
村上春樹が走ることについて語ることは身体にしみこむようによくわかる気がした。
箱根駅伝で流れたサッポロビールのCMのナレーションもそうだった。
「年をとって、それをありのままに受け入れて生きることは、走りながら空に浮かぶ雲を見ることに似ている」
だから、年をとることも、走ることも、不安ではあるけれど、そんなに悪いことでも悲しむべきことでもない。
55年目、もちろん僕にとって未知の領域だ。
轍ひとつない荒れ野に、僕はこわごわと一歩を踏み出す。
どんな楽しい出来事が待っているか、どんな恐ろしい出来事が待っているか、誰にもわからない。
何せ、40歳であろうが、50歳であろうが、18歳であろうが、88歳であろうが、
みんな本人にとっては生まれて初めての体験なのだから。
Happy Birthday to myself.
去年の2.14のぷよねこ日記です。
生誕54年の記 http://d.hatena.ne.jp/shioshiohida/20110215/1297700990
当たり前だけど、ニュージーランドの地震も、3月11日の大震災も、なでしこジャパンの世界一も、
家族や僕の入院、手術も、当たり前だけど脳天気な日記を書いている男は想像もしていない。
こうして去年の出来事を思い浮かべると悪いことばかりだったな。
はぁ〜。(タメ息)
…ロからもらった誕生日プレゼント。
米沢に住む栄養士時代の友人が送ってくれた霜降り肉(魯山人風のすき焼きにしていただきました)
ねこと自転車の絵柄のミニタオル、ねこの写真集、革のブックカバー、ゴンチャロフのチョコレート。