雨の一日。
甲子園口駅前の焼き鳥「たくみ」に行く。
シンプルな昭和の焼き鳥屋。
メニューは焼き鳥各種とお酒しかない。
ささみの浅焼きと塩味のたたき(つくね)が絶品。
年に3回くらいだけど20代の頃から行ってる。
1980年代の半ばくらいだろうか。
外観も内装も味も全く変わらない。
きょう久々に行って驚いた。
ずっと焼き方をしてたごま塩頭の親父さんがいなかった。
焼いていたのはそれまで手伝いしてた息子。
30年近く経つんだものな。
味は変わってなかった。
「下町ロケット」を読みながら瓶ビール中と熱燗2合。
独酌には小説がいい。
年イチで行ってるだけあって過去にもこの店の記述がある。
以下、過去の日記より抜粋。
半年に一度くらいか、予定も決めずにふらりと行く。
国鉄甲子園口の駅前にある焼き鳥「 匠(たくみ)」
年季の入ったカウンターに若者の姿はない。
定年間近の親父さん達が地味な背広姿で立ち寄る。
座っているのはみんな僕より少しだけど年上ばかりだ。
暖簾をくぐると店内の色彩はセピア、炭火と焦げた匂い、煙草のけむり。
国立の「まっちゃん」と同系のモノクロ記録写真の画質だ。
二合の熱燗と焼き鶏。
熱燗の酒は「白雪」だ。
山は富士なら、酒は白雪、伊丹の酒蔵、ナショナルブランド。
カウンターの中には老夫婦と四十代のその息子、
プロレスの藤原善明を思わせる親父さんは炭火の前で無言で焼き鳥を焼く。
ポジションをいまだ息子に譲らない。
メニューは焼き鶏一本、特に浅焼きの ささみ と 塩で焼く たたき は絶品だ。
僕が20代の終わりにこの近くに住み始めて以来、知っているだけでも軽く20年、
歩いても行ける西宮球場(今はもう無い)で江夏のオールスター9連続奪三振、
あるいは徒歩20分の甲子園球場で池田高校が優勝した、そのずーと前から毎日、焼き鳥を焼いている。
ギリシャの村のタベルナのようでもあり、松竹映画のようでもある。(何のこっちゃ?)
焼き鳥のタレが焦げる匂いに横山秀夫の警察小説あたりが似合う。
今夜は自由俳句の俳人 夢道の話を読む。
ほろ酔いで店を出ると夜桜が艶めかしい。 (2007年07月4日)
まだ早い時間だが、JR甲子園口のやきとり「匠」の暖簾をくぐる。
開け放された店の玄関から西日が射す。
横山秀夫の「深追い」を読みながら白雪の冷酒を飲む。
「引き継ぎ」という短編、老練の泥棒と二代目刑事の物語。
カウンターの若主人と同年輩の客が野球の話をする。
「で、スタメンはどうやってん?」
「ヒラノや」
交流戦のオリックス阪神戦かと察する。
「セカンドは」
「タナカ、(ノートを見ながら)サイトウ、タチバナ、クメジマ…」
え、何の試合だ?
どうやら姫路であった社会人野球か、大学野球の話らしい。
(2007年5月26日)
甲子園口で下りて贔屓の焼き鳥屋「たくみ」へ行く。
キリンビール大瓶を1本、浅焼きのささみが旨い。
この店のカウンターで聞き耳をたてる。
「ソングスいう番組あるやろ」
声の主は70歳に近い白髪の老人、そのしゃべり様も老人っぽい。
「去年から始まった番組なんやけど、いつもビデオに録って見てんねん」
話す相手は40歳台の男、息子ではないようだが。
「竹内まりやが良かったんや、あと2回目にやった矢沢永吉な」
そのエイキチのキを強調する発音がおかしかった。
何だか時代劇の登場人物のように聞こえた。
(矢沢永吉は2回目ではなかったけどね)
「竹内まりやの歌で“人生の扉”いうんがあってな、これがいいのや」
いたく感動されている様子。
そうかあ、SONGSの竹内まりやの歌と映像は僕らや団塊の世代だけでなく、
もっと上の世代にも喝采を浴びていたのだなあ、と感心する。
でも、聞いててちょっと気恥ずかしくなってしまったのは何故だろう?
(2008年6月20日)
図書館で坪内祐三『酒日誌』を借りる。
そのまま歩いてJRさくら夙川駅、2駅先の甲子園口まで乗る。
甲子園口の駅前にある老舗の焼鳥屋『たくみ』で独酌。
古いカウンターだけの店、昭和の焼き鳥屋。
頑固そうなオヤジが焼いている。
僕は年に2〜3回はこの店で飲む。
必ず独酌だ。
必ず注文するのが「ささみ」と「たたき」
「ささみ」は浅焼き、表面を炙るだけのレア、塩味のみ。
好みで一味唐辛子。
「たたき」は絶品、これもタレでなく塩味。
浜松町の人気店『秋田屋』のタタキに優るとも劣らない、と僕は思う。
この店がメジャーにならないことを祈る。
(2010年3月30日)
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