ぷよねこ減量日記 2009/5-2016/1

旧ぷよねこ減量日記です。2016年1月に新旧交代してます。

2011/12/3 師走浪曲名人会@文楽劇場

今朝は鼻づまりで不本意な目覚めとなる。
一喜一憂。
毎日、この話題で始まって申し訳ありません。
一日のスタートをいかにベストの状態で迎えることが出来るか。
現在、僕の重大関心事なのです。


…今日はヒロと国立文楽劇場へ出かける。
彼女は西宮の市外へはひさびさのお出かけとなる。
リハビリリハビリ、でも、歩行速度がかなり遅くなっている。


文楽劇場ですが文楽ではありません。
浪曲浪花節です。
しかも名人会、大御所ばかりの4時間、浪曲ざんまい。
師走浪曲名人会@国立文楽劇場
   

 
名人が6人、男が3人、女が3人。
聞いたことがあるのは天光軒満月さんと京山幸枝若さん。
最年長が京山小圓嬢さんの79歳、最年少が幸枝若さんの57歳、
浪曲も還暦過ぎてからが円熟期のようです。
以下、感想のつぶやき。


オーディエンスの男子率高し。
いつもなら文楽劇場は女子率が高いのだ。
浪曲はおっちゃんの芸能だ。
年金受給率も過半数いや安定多数越え。
伝統芸能の中でも浪花節は大衆のもの。
ハードルが低いと思う。


名人会という呼称に偽りなし。
全員が凄い。ハズレがない。
ほれぼれする。
ええ声、ええ節、ええノド、時に鳥肌を立てながらニンマリ聞き入ってしまいました。
すごい迫力やね、隣のヒロも感動しているのがわかる。
時間があっという間に経ってしまう。


初っぱなに登場したのは天中軒雲月(女性)さん。
岐阜県郡上八幡出身、中学を出て浪曲の世界に入門した58歳。
初舞台は昭和44年、香川県坂出市城山温泉センター。
プログラムにある経歴を読むだけで“大衆芸能の花”浪曲の世界が垣間見える。
この人の第一声でやられた。
威風堂々、大ホールの天井が震えるほどの声量で朗々と節を回す。
演目は師走にふさわしい赤穂浪士ものから『男一匹天野屋利兵衛』
拷問されても赤穂浪士との取り引きを白状しない利兵衛。
浪花商人の心意気、名台詞の「天野屋利兵衛は男でござる」で鳥肌。
ヒロは、この人が聞けただけで価値あるわ、と満足気。


一つ前の列に“大向こう”さんがいた。
たぶん70くらいのお父さん。
「待ってました!」
「日本一!」
「天中軒!」
「よ、名調子!」
歌舞伎と違って大衆芸能、作法は特にないようで好き勝手に声をかけます。
そのタイミングがいい。
ホントに浪曲大好きというのが声から伝わる。


二番手は天光軒満月さん。
前にも書いたが、チャンバラトリオの頭に似ている。
自民党の古参議員のようでもある。
村田英雄を思わせる堂々とした歌いっぷり。
村田先生の大ファンのヒロは大喜び。
決めぜりふで胸をどーんと叩くのが定番らしく大きな拍手。
この人、台詞(浪曲では啖呵と呼ぶ)より歌(浪曲では節)が好きなんやろね。
実際に歌謡曲のCDも出しておられるようです。
演目は『昭和立志伝〜須藤源吉〜』
福島県浅川村から上京した須藤少年の心意気を語ります。


腹から声を出す、というのは身体にとって良いことらしい。
『お夏清十郎』の悲恋を切々と語った三原佐知子さんは御年72、
『愛情乗合船』で泣かせてくれた京山小圓嬢さんは御年79、母と同い年だ。
お二人とも大熱演、シャキッとして声量がある。
お年寄りだからなあ、と割り引いて見ていた僕らは頬をひっぱたかれたような思い。
失礼しました。
住大夫さんと言い、小圓嬢さんと言い、腹式呼吸の人は凛として健康。


松浦四郎若(しろわか)さんが語った『相馬大作』は面白かった。
“みちのくの忠臣蔵”と呼ばれている物語らしい。
東北版の場合、ええもんが南部藩(岩手)、悪役が津軽藩(青森)である。
これは物語としてすごく面白かった。
クライマックス、船頭に化けた相馬大作が仇をとる場面。
「ちょうど時間となりまあした」とくる。
観客席はタメ息と拍手。
そうなのか。
全てを語らないのが浪曲の美学なのだ。


オオトリは当代一の人気者、二代目 京山幸枝若
この人の浪曲は3度目。
前はいずれも大久保彦左衛門と左甚五郎の話だった。
今回はトリにふさわしく十八番の『会津小鉄〜山崎迎え〜』
万雷の拍手、飛び交う「こうしわか!」のかけ声。
浪曲にも流派(スタイル)があるらしく、この名人は幸枝節と言われる。
素人の僕が聞いてもわかる特徴は、
・決して力まない(肩の力が抜けている)
・台詞(啖呵)が上方落語に近い
・コロコロ回る節回しが聞かせどころ(小気味よく節を回す)
幸枝節の節は「河内音頭」に近い。
途中、何度もくすぐりが入る。
そない難しい顔せんと気安うに聞きましょうや、という感じで語る。


プログラムに町田康の文章が載っている。
元パンクロッカーにして作家は、ぼくらはなぜ浪曲に感動するのか、を解き明かす。
全てに、そうそう、そうなんですよ、と共感する。
なるほどプロの作家はうまいこと表現するもんだと感心した。


彼の小説『告白』は浪曲の『河内十人斬り』をモチーフにしている。

告白 (中公文庫)

告白 (中公文庫)

この日、町田康さんも文楽劇場へ来ていた。
「心の浪曲」という一文、ありがちな芸術評ではない。
なぜ僕ら世代が古い芸能に惹かれるのかを解いている。
編集は国立文楽劇場営業課とある。


  だんだんに歳をとってくると、物事に感じ入る、心が動く、感動する、
  ということが少なくなってくる。
  なぜかというと、歳をとるということは歳の分だけ賢くなるということで、
  いろんなものをみて、ああ、こういうことかと、
  とその成り立ちや理由をわかってしまう、理解できてしまうからである。
  なので、若い時分にカッコイイと思って崇拝していたロックミュージシャンなどにも、
  もしかしたらこいつはアホかも知れぬ。と、正しい判断を下すことが
  できるようになってしまう。悲しいことである。
  できることなら昔のように訳もなく感動し、無闇に興奮したり、嗚咽号泣したり、
  悶絶昏倒したりしたい。どこかにそういうものがないだろうか。
  いや、ないだろうなあ。愁嘆なことだ。死のうかな。
  と考えて死ぬのはしかし早計である。
  なぜなら世の中には浪曲があるからで、どういう訳か、浪曲を聞くと感動する。
  心が動く。涙がこぼれる。
  なぜこのように心が動くのか。それは浪曲という芸能が
  私たちの心の奥に長いこと保存されていたあるものであるからである。


白状すると僕(現在54歳)も感動することが少なくなっている。
生来、感激屋というわけではない。
それでも、若い頃は町田氏が書いているように熱病のように何かに興奮した。
映画や本を読んでは眠られなくなって、何かを計画したりして、朝まで起きていたり。
たいていは長続きしなかった。
今、Twitterやこの日記にも、○○に感動、などと書くが実際はそうでもない。
思わず落涙、とか書いたりするが大げさにしてるだけで目頭が熱くなる程度だ。
ま、鳥肌もの、くらいは事実に近い。鳥肌くらいはまだ立つ。
要するに若い世代に遅れまいとそういう表現を使っているだけである。
誰も同じかもしれないが感情表現は5割増なのだ。
でも、町田氏が書いているように浪曲には感動する。
どういうわけだ?


  人間にはそれぞれの人生があり歴史があるので一概には言えないが、
  そのことに関してはそれぞれの世代がそれぞれの歴史的認識を有しており、
  例えば昭和三十七年生まれの私などは、かつて浪曲が私たちの心のなかで
  大きな位置を占めていた、ということを知識として知っていた。
  そしてそれを自らの意志で心の外に廃棄した、と認識していたのである。
  なので心に浪曲がないことをなんとも思わなかったし、
  廃棄したのはそれが不要になったからだと疑うことなく信じていた。


  私たちより上の世代は浪曲を廃棄しなかればならなかった本当の理由を知っていた。
  それは当時、私たちが私たちの心には、
  新しい別のものを置くべきだ、と考えたからである。
  新しい別のものは、新しい分、とても優れているように見えたし、
  実際、見映えもよかった。
  ならば、新しい別のものを置き、いままであったもの(浪曲など)も
  置いておけばよかったのだけれども、新しいものと並べてみると
  これまであったものはいかにも古くさく、
  こんなものを心の中心に置いていたのが恥ずかしく思えた。


  また、スペースの問題もあった。
  私たちの心は古いものと新しいものを並べておくほど広くはなかった。
  そう私たちの心は狭かったのである。


若い奴らは愚かで知識が少なく心が狭い。
かつて僕らがそうだったように見映えがいいという理由で
新しいものを選択し、古いものを捨てる。
伝統芸能、大衆芸能が中年になって僕らの心の中で復権、あるいは発見する。
ようやく新しいものも古いものも並べておく余裕が出来たような気がする。
町田康がいう「心が広い」人間になったのかもしれない。


  かつて新しかったものが当然のことながら古くなってきた。
  表面的な塗料が剥げ、地肌がみえたその姿はいかにも安っぽく見苦しかった。
  (中略)そんなとき、私たちの心の中心にあり、
  その後、心の奥底に保管されていたものがあることに気がつく人が出てきた
  その人たちは心の一角に足を運び、かつて私たちの心の中心にあったものに触れた。


それが町田氏が浪曲を聞いて感動する理由であると結んでいる。
浪曲師の至芸に初めて触れた人は、
何じゃこのド迫力は、なんじゃこの芸のレベルの高さは、と驚く。
浪曲名人会、また行きたい。


帰宅して浪曲のことをTwitterでつぶやいた。
いくつかの連続ツイートが誰かにリツートされた。
誰だ? と思ってたどると、東家一太郎という若手浪曲師の方だった。
いま浅草の木馬亭で定席が開催されているらしい。
一太郎さんも出演している。
関東の浪曲も聞いてみたい。
さらに、一太郎さんからたどると今日聞いた天中軒雲月さんがツイートしていた。


  @ungetsu 中入りの休憩の際、町田康さんがCD購入の方の列の中に(・_・)エッ..?。
  プレゼントしようとしたのですが購入して下さいました。


フォローしたら、フォロー返ししてくれました。
嬉しい。
浪曲の環ですな。


あ、もうひとつ。
本日の師走浪曲名人会のチケットは4000円。
(僕らは文楽劇場友の会で3200円)
4時間で4000円である。
もっともこれは浪曲にしたら破格。
定席などは4人聞けて2000円である。
さすが大衆芸能。
歌舞伎に比べ圧倒的に安い!


…夕ご飯は煮込みうどん。
自家製の鶏団子と白ネギと薄揚げが具。

子供の頃のお昼ごはんに鍋で炊いたうどんと冷やごはんという定番があった。
アルマイトの大きな鍋でうどんを煮こんで家族みんなで食べたものです。

ときどき、卵を落としてくれたりして。


J1は1位の柏レイソルが勝って三つ巴の優勝争いに決着。
グランパスとガンバも勝ったが届かなかった。