2011/12/28 独り京都

今日も冷えこむ。
寒さが身にしみる。
クリスマスから寒波が居座っている。
本当に例年より寒いのか、自分が寒さに弱くなったのかよくわからない。
考えてみれば高校生の頃は初詣へ行くにもセーターとジーパンだけだった。
(1970年代のことです)
僕はコートもウインドブレーカーも持っていなかった。
名古屋へ模擬試験を受けに行くときも寒かった。
でも、学生服だけで何とか耐えられたのだ。
あの頃の僕はコートより参考書を優先したのだろう。
寒さに強い18歳の自分と震える54歳の自分、果たして同一人物なんだろうか。
なーんて今日もどうでもいいことで日記は始まる。
また内容のペラいことを書いている、とfatfat氏あたりに糾弾されそうだな。
でも、日記ってこういうものでしょ?
天声人語じゃないんだから。


昨日は阪神電車で神戸へ行った。
きょうは阪急電車で京都へ行く。
独り京都、独り忘年会なのだ。
師走の錦市場を歩く。
餅やおせちの材料、しめ縄や門松が売られている。
もう今年も三日しかない。
四条大橋から見る北の山が冠雪している。
川風に震える。


比叡おろし?
そんな歌があった。
♪うちは比叡おろしですねん あんさんの胸を雪にしてしまいますえ
http://www.youtube.com/watch?v=nO-_hhuSkBo
でも、比叡おろしって比叡山から琵琶湖へ吹きおろす西風だっけ?


午後5時、念願の祇園独酌。
いや念願の『遊亀』独酌、これをして独り忘年会とする。
2011年を熱燗、緑60、活性にごりの3杯で締める。
1時間ちょっと、6時半にカウンターが埋まる。



酔い覚ましの珈琲を飲む。
三条河原町の『六曜社珈琲店』
この店は10年ぶりくらいか。
ブレンドが480円に値上がりしたが店は全く変わっていない。
最初にこの店に来た時のことを憶えている。
僕は二十歳の大学2回生、季節は今と同じ、冬だった。
金沢から急行「きたぐに」の寝台ではない普通席で眠り早朝5時に京都へ着いた。
雪が舞う烏丸通りを北上し河原町まで歩いた。
その時に着ていた服をなぜか憶えている。
今風に言えばボトムはデニムジーンズ、トップスはネルシャツに中綿のパーカー。
当然ながら羽毛ではない。ダウンジャケットなんて見たこともなかった。
今思うと薄着だよなあ。
でも、当時はせいいっぱい防寒してるつもりだった。
話が逸れた。
どんな経緯で『六曜社』に入ったのかは忘れてしまった。
ミルクと角砂糖を2個入れた濃厚な珈琲は美味しかった。
梅田の『アメリカン』や千日前の『丸福珈琲店』、元町『サントス』と同系統の濃い珈琲。
あれから数年にいっぺんくらいの間隔で忘れた頃に来る。
店の内装も珈琲の味もソーサーの趣味も初めて来た34年前と変わらない。
店では相席が当たり前になっている。
相席だけど妙に落ち着く。
心地よき無関心、隣や向かいの人が不思議と気にならないのだ。


往復の電車で川本三郎『君のいない食卓』を読む。
食べ物を巡る著者の記憶を短いエッセイにしたもの。
川本三郎が初めて鰻を食べたのは大学生の時、家庭教師のバイト先でのことだった。
人は初めて食べた時の記憶は忘れないものだ。
食べ物に関して僕はかなりの奥手だ。
いくらを食べたのは札幌の回転寿司で35歳だった。
生うにを食べたのは利尻島で36歳のとき。
てっちりは大阪の心斎橋の店で25歳、苦手なのでそれ以来一度食べたっきりだ。
すっぽんは54歳にしていまだ食べたことがない。


気がつけば追憶モード。
昔の記憶の断片が耳の穴からこぼれ落ちる。
独り忘年会なんてしたせいだ。


また訃報。
杉原輝雄さんが亡くなった。
昔、番組で一度だけお仕事をご一緒したことがある。
最近はトーナメントでも見なかった。
永年、前立腺がんと闘っていた。
僭越ながら、杉原さんナイスファイトでした、と言いたい。