2012/6/20 台風一過(じゃない)

台風が去ってもからっと晴れない。
梅雨なので仕方ないが、普通梅雨どきに台風は来ないものだ。
昔、夏の終わりや秋の台風には台風一過の好天がつきものだった。
青空、さわやかな乾いた秋風、晴れやかな気分。
地球環境が変わってしまい最近は台風一過という言葉も聞かない。


…午前中は自宅でデスクワーク。
ゴルフ中継のVTRのナレーションを書く。
夕方からスタジオで編集、ナレーション録り。
夕食がとれず22時過ぎに「なか卯」で和風牛丼ミニとゴマだれざるうどん小盛のセットを食べる。
夜遅く食べるにはけっこうなボリュームだった。
音楽のダメだし、差し替え等があって終わったのは日付変更線を越えていた。


局へ戻り、タクシーで帰宅。
泊まりこみで遺品の整理をしていた3日ぶりにヒロも家に帰っていた。
古い歌舞伎の筋書き(プログラム)やてぬぐいが置いてあった。
ばあばあの遺品だ。


1970年の大阪万博会場の地図を発見。
中学生の頃、僕は万博大好き少年だった。
そのイラスト入りの地図を見ると半世紀前がありありと蘇る。
これはなつかしい。


いま、会場のイラストマップを見ると目がくらみそうだ。
1970年によくもこんな壮大なイベントを開催したものだと思う。
各国のパビリオンや日本企業のパビリオンもまさに威信をかけて巨大、未来に一点の曇りもない。
おま2012年に日本から見ると眩しくて目がくらむ。
僕は中学生(14歳)だったからかなり記憶にバイアスがかかってはいるがこの地図にウソはない。


太陽の塔の近くに「中華民国館」がある。
そうか、当時は中華人民共和国との国交はなかったのだ。
そして、かの大陸ではあの文化大革命の真っ直中だったのだ。
自分が日本でなく中華人民共和国で14歳だったら、と想像する。
想像はしてみるが全くイメージが沸かない。
      



三菱未来館三井グループ館、住友童話館、東芝IHI館、松下館、日立グループ館、富士グループ館、古川館(七重の塔だった!)…。
数十年後、消えてなくなった国のパビリオンもある。このとき、ベトナムカンボジアラオスは戦争中だった。
      


じいじいが出征した時の日の丸も発見されたという。
「武運長久」とあり、近所の人たちの寄せ書きがある。
お国のために死んでこい、と18歳で送り出されたのだ。
     
幸いにも生きて帰り、ばあばあと結婚し、ヒロが生まれ、僕と結婚した。
今に至る。