2012/11/12 5年後を想像すると…。

秋晴れの朝、久々にNIKONを手に30分ほど散歩する。
7ヶ月前は花、半年前は新緑だった夙川の桜並木がすっかり秋色になっていた。
落葉盛ん、半月もすればすべての葉が落ち、木々は冬の眠りにつく。
 


穂高の写真家がブログに載せていた引用文。
山の木々のことだけど、
“風に託して大地に返した”か。
アスファルトじゃそうはいかないね。

ー落葉の頃ー                               
何に逆らうこともなく、素直に誠実に、ひっそりと生きる木々が
今は冬の仕度を済ませて穏やかな陽射しに立っている。
木々は不要なものとして、その億万の葉を棄てたわけではない。
風に托して大地に返した。

                      (串田孫一 『鳥と語る夢』より)


紅葉ではなく黄葉。
こういう黄緑の色合いも新緑とは違う味わいがある。
(若葉の頃の写真 http://f.hatena.ne.jp/shioshiohida/20120427150558
 


夙川河口ではユリカモメたちが冬の庵を結んでいる。
 


忘れていたが昨日11月11日はヒロが去年手術した日。
http://d.hatena.ne.jp/shioshiohida/20111112/1321024583
あれから1年が経つ。
同じ時期に入院していたばあばあ(義母)は半年前に他界した。
たかが1年、されど1年。
1年経過の検診は良好だったようだ。
ヒロも今月54歳の誕生日を迎える。
どこかへ美味しいものを食べにいこう。


…図書館からメールが届き予約していた「ルーズヴェルトゲーム」の順番が回ってきた。
数ヶ月ぶりに図書館へ行き、他にも文庫のエッセイ集を数冊借りてきた。
今は本をじっくり読む余裕がないので軽いエッセイ集ならばいいかなと。
その中に幻冬舎文庫で30人の作家によるアンソロジーがあった。

発見 (幻冬舎文庫)

発見 (幻冬舎文庫)


一編が8ページほど。
通勤電車なら5編ほど読めるがあえて一日一編ずつにして味わおう。
目次でタイトルを見て今日はこれにした。
 
  「六十代」山田太一


こんな書き出しで始まる。


  年齢が、面白い。
  当たり前だが、三十代は三十代になれないと体験できない。
  よくも悪くも二十代には想像もしなかったことを実感する。発見する。
  四十代にも、五十代にも、その歳になってはじめて自分のものになる思考、発見、経験、感慨がある。


このあと、高橋新吉の「無意味」という詩に触れて短いながら読み応えがあり面白かった。
山田太一はすでに70代後半だがかなり前に書かれたエッセイらしく60代についてこう書かれている。


  六十代に入って私は何度か町なかで立往生することがあった。
  突然、ズシリと重い疲労に襲われる。歩けなくなる。


山田氏は街を歩きながら考えごとをしたりコーヒー店に入ったりするのが常だった。
五十代にもやってきた習慣だったのだが…。
実は今年55になった僕も兆候がある。
梅田や三宮あたりで街歩きをして、ある一定の時間ずっと立ったままでいると突然足が重くなる。
幸い立往生とまではいかないが、どこかに坐りたくなるのだ。
以前にはなかったこと。
(山歩きでは身体がそれなりの覚悟をしているのがそういうことはないが)
町なかで立往生した山田太一氏の話は他人事ではない。
あと5年で僕も六十代、あっという間にやってくるに違いないのだ。


…午後イチで出社。
週末のOB戦収録についての詰めをする。
土曜日に駅伝収録、日曜にOB戦収録。
収録終わりから年末にかけても気が抜けない。
地道な編集作業とスタジオ収録が待っている。
本当は割り切って僕のスキルだけを使ってくれると嬉しい。
そうならば100%近く能力が発揮出来るのにな、と思うがなかなか事情が許してくれない。
野球やサッカーでもベストの監督に出会えるのは稀だろう。
選手側からリクエストすることは出来ない。
いま与えられた条件で凌いでいくしかないのだ。
実はこの一週間がおそらく今年最後の正念場なのだが、実のところ長い経験からジタバタしても結果は同じだと知っている。


ジタバタしても、と20時前に切り上げる。
せんべろ吞みにセルジオをしつこく誘うがなかなか出てこない。
「山長梅田」で独酌。久しぶりに『琵琶のさざ浪』を飲む。
帰りの電車の中で咳をするとあからさまに冷たい視線を向けられることがある。
マスクしてタオルで口を押さえているのに。
世間は冷たい。