2013/2/21 愚民の群れ

青森の酸ヶ湯温泉は5メートルを超える積雪らしい。
あそこの千人風呂は二度行ったがいずれも秋だった。
売店で「田酒」の一升瓶を見つけて即買いした記憶がある。
北海道でも雪に振りこめられた列車がホームで夜を明かしたという。
こんな雪が東京や大阪を襲ったら…と想像してみる。
交通アウト、流通アウト、過集中で通信アウト、3アウトでチェンジ…か。


ドライマウスの朝、いつのまにか慣れてしまった。
以前は、ネルネルして寝たり、加湿マスクをしたり、とジタバタしたけど。
何も解決していないのに諦めてしまっていいものか。
口呼吸は身体に悪いことはわかっているのに…。
歳をとるとこういうことって多いなと思う。
耐えられるなら抵抗せずに身を任せよう、抵抗はめんどくさい、と。
世の中の矛盾もそんなふうに慣らされていくと思うと腹が立つ。
要するに慣れてしまう自分たちが悪いのではないか。
愚かなみんな。
ぼくたちは金持ちにだまされ、お上にだまされ、狡い者にだまされる愚民の群れだ。
(折しも3.11直後に出た福島の放射線量が10キロ圏内では通常の700倍でしたと判明)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130222-00000013-mai-soci



…右背部痛の原因を確かめたい。
朝から自転車で走り西宮北口の「はらクリニック」へ行く。
ちょうど1年ほど前、左肘の手術をする前に内科検診をした際に胸に影が写った。
念のためにCTスキャンをした方がいいと言われ紹介されたクリニックだ。
(結局、特にあやしいところは見つからず無罪放免となった)
その時の診察券もあるし、いろんな検査が出来ることを知っていたし、予約不要なのでここに行こうと決めた。

  


9時半過ぎに受付、待合は混んでいた。
久々の病院。
ああ、この感じだよなあ、病人ばかりがよなあ、とか懐かしいとさえ思う。
自分の診察なのでばあばあのお見舞いとかとは違う。
出来るだけ近づきたくはない場所ではある。


体温を測り、尿をとり、小一時間待って診察となる。
60代であろう院長に右背中下部の鈍痛の症状、既往症などを説明する。
いわば病状のプレゼン、上手く出来たかな?
要因をひとつずつつぶしていきましょう、と腹部X線を撮る。
またしばらく待って診察室。
大腸の上行結腸あたりにガスがたまっているらしい。
アメーバ腸炎が治ったときに腸壁に小さな凹みが出来ていると言われた。
憩室(けいしつ)というらしい。
加齢によって出来るもので凹みに老廃物がたまると発熱して痛むのだとか。
その痛みなら背部ではないし鈍痛でもないはず。
寝転んでエコー(超音波)検査をする。
腎臓の尿管に石がないかを調べる。
石らしきものは無い。


腸内や内臓に炎症がないかを調べましょうと採血する。
腸内を整える整腸剤と腸のぜん動運動を押さえ痛みををやわらげるブスコパンという痛み止めを処方してもらう。
ブスコパンは聞き覚えがある薬。
確か大腸カメラに検査前に筋肉注射されたと日記にある。


先ずは腎臓結石はセーフ、一面クリアした。
突然の尿道激痛というリスクは今のところ遠ざかった。
次の疑いはアメーバ腸炎という前科のある大腸。
だけど、背中の痛みと腸が関係あるのかは不明。
ひとつずつ疑いをつぶしていこう。


…待合室で『晴れときどき涙雨 〜高田郁のできるまで〜』を読了す。
あの「みおつくし料理帖」シリーズの高田郁のエッセイ。
筆者が川富士立夏というペンネームでコミックの原作者をしていた時代に連載された短い文章をまとめたものだ。
夜空ノムコウの歌詞ではないが、僕の心のやわらかい場所をきゅっと締めつけるような、ウエットで温かいエッセイだった。
小説家になるまで高田さんは遠回りしている。
司法試験を目指し挫折、塾の講師をしながら糊口を凌ぐも塾が倒産、その後の長い年月を原作者として経験を積んだ。
小学生の時に陰湿ないじめに曝され、阪神淡路大震災、その後、原作者時代に交通事故に遭い、今も後遺症に苦しむ。
みおつくし料理帖のシリーズには作者自身の人生がつまっているのだなあと改めて新作が待ち遠しい。
最新作の「夏天の虹」では、風と共に去りぬ、の如くあまりに波乱万丈の展開となった。
どうまとめるのかちょっと不安だったのだが…。

晴れときどき涙雨 高田郁のできるまで

晴れときどき涙雨 高田郁のできるまで


山本一力の「あかね空」が山本周五郎と並んで高田さんのあこがれの作品だと書いてある。
僕が五十を超えてから時代小説を読むきっかけになったのが「あかね空」だった。
なるほど、と思う。
「あかね空」と「銀二貫」にはどこか共通点がある。
高田さんはもともと山本周五郎の本を読んでいたらしいが四十を過ぎて読む山本作品はまた格別だったという。
そうなのだ。
歳をとればいいってもんでもないけど、経験を重ねないとわからないことって確固としてある。
事実、僕は空っぽのバカでした。
高田さんは宝塚在住なので、夙川駅前のミスター&ミセス オハラさんのクリスマスツリーのことなどが描かれているのも親しみがある。


このエッセイ集は眼鏡堂氏から譲り受けた。
西国分寺の書店のブックカバー(書皮)がかけてあった。
このカバーにあるイラストがどこか妙だ。
ヒロに見せると、気持ち悪い、と言う。
よくわからない。
フリークス?
これってキモカワイイの?
いったいこれは何だ?
西国分寺の人は平気なのだろうか。
タダでもらっておいてこんなことを書くのは申し訳ないけど。
   

調べたら…http://www.facebook.com/nishikokun ゆるキャラらしい。


…ニュースデスク2日目。
今日は阪神紅白戦のニュースのみ。
系列局への素材送りなどで一日を過ごす。
明日からWBCの山本ジャパンが大阪入り、オーストラリアと練習試合をする。
中継局以外はカメラは各局系列1台しか入れない。
試合映像は東京で分配され、試合は撮れない。
メジャーリーグ方式なのだろうが運営側がドタバタで二転三転するので困る。
機構サイドとか権利者サイドとかの独占が過剰に進むとスポーツ人気が廃れるような気がしてならない。


夜、プールへ行きたかったが間に合わず。
背中痛もあってちょっと運動不足。


…ヒロが「オリンピックの身代金」を読んでいる。
僕が読んだのは一昨年の12月だった。
http://d.hatena.ne.jp/shioshiohida/20111218/1324192083


感想を長々と書いている。


奥田英朗『オリンピックの身代金』をようやく読了。
久々に読んだエンターテイメント系の長編を堪能した。
クライムサスペンスとしても、警察小説としても質が高い。
定番の刑事部と公安部との手柄争いの諍いも読み応えがある。
今年ベストワンだ、と書いて、ふと1年を振り返る。
最近、小説というものを読んでない。
吉田修一横道世之介』に始まり読んだ小説は数えるほど。
高田郁の『銀二貫』や澪つくし料理帖シリーズが2作。
吉村昭『海も暮れきる』、三浦しをん神去なあなあ日常』、佐藤友哉デンデラ』…。
情けないことにこれくらいかも。
ノンフィクションやエッセイ、新書系はもう少し多いけど似たようなものだ。
ズシンとくる長編エンタテイメントは去年の『終わらざる夏』(浅田次郎)まで遡る。
加えて読むのが遅い。
『オリンピックの身代金』も上巻下巻で一ヶ月くらいかかっている。(!)
エンタ系にこんなに時間をかけては物語のリズムやスピード感もあったものじゃない。
臨場感も半減だろう。
にもかかわらず『オリンピックの身代金』は面白かった。
普段はスポーツ系脱力エッセイで笑わせてくれる奥田先生、シリアス路線もやりますな。
面白さを半減させたのは僕のせいです。


問題は可処分時間を読書に充ててないからだと思う。
たとえば通勤電車の20分、往復40分、待ち時間を合わせて60分。
これで100頁くらいは読める。
iPhoneiPadで細切れに何かを読んで過ごすことが多い。
そして、細切れの時間の使い方が日常化すると集中力も細切れになる。
本を読んでも3頁くらいでブレイクを入れてしまう。
息がもたない。
小説が楽しめない。
何とかせねば、と思う。


『オリンピックの身代金』
amazonのBookデータベースの紹介はこうある。


   昭和39年夏、東京はアジア初のオリンピック開催を目前に控えて熱狂に包まれていた。
   そんな中、警察幹部宅と警察学校を狙った連続爆破事件が発生。
   前後して、五輪開催を妨害するとの脅迫状が届く。
   敗戦国から一等国に駆け上がろうとする国家の名誉と警察の威信をかけた大捜査が極秘のうちに進められ、
   わずかな手掛かりから捜査線上に一人の容疑者が浮かぶ。
   圧倒的スケールと緻密なディテールで描く犯罪サスペンス大作。


琴線に触れることが多い小説だった。
読みながら何度も思うところをメモした。
おそらく著者が意図しているように、僕も犯人である島崎に感情移入して読み続けた。


1964年、まだ先進国と呼ばれていなかった頃の日本。
中進国から先進国へ、その仲間入りをするために犠牲となったものを小説は思い出させる。
アジア初のオリンピック、祝福を独り占めする東京。
東北は今の出稼ぎ外国人と同様、同じ日本人でありながら安価な労働力の供給源だった。
秋田から出稼ぎに出ていた兄を亡くした東大生の島崎は過酷な飯場での仕事を経験する。


「いったいオリンピックの開催が決まってから、東京でどれだけの人夫が死んだのか。
 ビルの建設現場で、橋や道路の工事で、次々と犠牲者を出していった。
 新幹線の工事を入れれば数百人に上るだろう。
 それは東京を近代都市として取り繕うための、地方が差し出した生贄だ」

  


1964年、当時を思い起こす。
僕は小一だった。
我が家も決して豊かではなかったが周りにはもっと貧しい家庭がザラにあった。
友達の家に遊びに行くと6畳一間に家族3人が暮らしていることも珍しくはなかった。
反面、同じクラスには庭の池に鯉が泳ぐ広いお屋敷に住む友達もいた。
むき出しの貧富の差があり大人たちはそれを当たり前のように受けて入れている。
子供の目にはそう見えた。


1970年代、大学生の僕は岐阜の大垣で住み込みのバイトをした。
学生は僕だけで周りは九州や四国から出稼ぎに来ていたおじさんたちだった。
仕事は紡績工場の機械の修理と点検。
毎日、朝から晩まで油まみれになった。
朝起きて、工場へ行って、一日中働いて、クタクタになって寝床に入る。
出稼ぎの男たちや、紡績工場で働く若い女工たちと同じ生活だった。
傲慢にも僕は思った。
「こんな家畜のような生活はしたくない」と。


生まれ育った街は大垣と同じように大小の工場がある工業都市だった。
住民の大半はそこで働く労働者だ。
街は労働者階級の匂いに満ちていた。
不遜にも思った。
「こんな街には二度と帰らないぞ」と。
自分は大学を出て、工場労働なんかとは無縁な仕事をするのだ。
イーグルスやドゥービー・ブラザースの軽やかで自由な音楽を聴きながら、
海外旅行の資金を貯めるべく単純な労働者生活に耐えた。
同時に、自分の故郷の機械油の匂いを、文化度の低さを、酒に酔う労働者を嫌い蔑んだ。
愚かで放漫な思いこみ、口には出さなかったけれど本音はそうだった。
僕らを雇っていた大垣の中小企業の専務は30代の跡取り息子で大卒だった。
彼はときどき僕を食事に連れて行ってくれた。
学生の僕をこっち側の人間として扱い出稼ぎのおじさんたちと区別して話した。
あの人たちは、あいつらは、という言い方を何度も聞いた。
同じ側の人間として扱われていたのにもかかわらず、どこか憤りを感じた。
おまえはどっちなんだ?
モラトリアムという言葉も知らなかった。
僕には社会に対して何の覚悟も出来ていなかったのだ。
ある夜、仕事終わりで出稼ぎのおじさんたちは連れだって飲みに出かけた。
おじさんたちと距離をおいていた僕は誘われず部屋でテレビを見ていた。
一人のおじさんが戻ってきた。
部屋の靴脱ぎ場で僕を呼んだ。
ミヤタさんという40代の男だった。
なんか食べてよ、と僕に千円札を3枚渡してすぐに出て行った。
不意に涙が出た。
理由はわからない。
誰もいないのを幸いに思いっきり泣いた。
淋しかったのかもしれない。
後ろめたかったのかもしれない。
若い頃は理由もなく泣くことがあった。
その時、ラジカセでJ.D.サウザーの『ユア オンリー ロンリー』が流れていた。
今もこの曲を聴くと殺風景な工場の2階を思い出す。
同時に、若い頃の自分はなんて中途半端で嫌なヤツだったんだろう、と自己嫌悪が増す。
  


話が『オリンピックの身代金』から大きく逸れた。
富める人々と貧しき人々、中央と地方、どうしようもない出自の違い。
それが物語のベースにある。
ある別の本で読んだ表現だが、生まれた時からサードベースに立っている、ような人がいる。
あるいは後続に5分以上のリードをもらってタスキを渡される人もいる。
反対に2アウト ランナー無しから始まる人生もある。
そんな不利な条件からでもまれに逆転することもある。
若い頃の僕は出自を呪ったことはなかった。
若さゆえ時間はたっぷりあったので焦りはなかったのだ。
のんびりと好きなことをして時間を浪費してしまった。
悔いはないけど。
もう若い頃のように残り時間がない。
出自を呪う気持ちは今の方が強いかも知れない。


これは読後感想ではないね。
WEBにはちゃんとしたレビューが載ってるからそっちを読んでください。
そんなこんなで『オリンピックの身代金』、エンタテイメントの傑作であると同時に、
いろんなことを思い出させ、きりきりと切なく胸を打った。