ぷよねこ減量日記 2009/5-2016/1

旧ぷよねこ減量日記です。2016年1月に新旧交代してます。

2009/5/29 ジリオラ・チンクエッティ!

目が覚めたのが5時、瀬戸内は快晴。
明石海峡大橋が曙光に眩しい。
定時の朝7時、六甲アイランドのフェリーターミナルに着港す。
行きも帰りも「さんふらわあ ぱーる」でした。
もっともこの航路には直行便で「ぱーる」と「ごーるど」。
松山と今治に寄港する「こがね」の計3隻なので直行便を利用すると五分五分なのだ。


車なしの一般客はバスで阪神御影、JR住吉駅へと運ばれる。
タダではない210円の運賃を払う。
折しも通勤通学のラッシュ、通勤特急を避けて普通電車で帰宅。


…自宅に帰りメールチェック。
400通ほど来ているがいつものように95%以上がスパムメールだった。



…ラジオから、懐かしい曲が流れてくる。
ジリオラ・チンクエッティの『夢見る思い』
チンクエッティは『雨』が有名だけれど、僕はこの曲がたまらなく好きだ。
なんていうか聞くだけで涙が出てくる懐かしさがある。
個人的に想い出があるわけじゃない。
でも、旋律が、声が、イタリア語の語感が、僕の心にある泉の水に波紋を落とす。
ざわざわとした胸騒ぎさえする。
何ら具体的な想い出もないのにボーとして遠くを見るような目になる。
遠き50年代や60年代の、どこか異国の、陰影の強いモノクロの、夏の風景が浮かぶ。
根源的な何かがある。
(よくわからないけど、要するにタイプなのですね)
中山千夏が歌った『あなたの心に』とどこか共通するものを感じる。


  


原題は『NON HO L'ETÀ』(夢見る想い)。
歌うのは、ジリオラ・チンクエッティという女性歌手。
彼女の名前は知っていた。
僕が子供の頃に日本でも人気だった。
一度、聞いたら忘れられない。
なのに一度聞いただけでは覚えられない。
チンクエというのは数字の5だ。
イタリア語で、ウノ、ドゥエ、トレ、クアットロ、チンクエと数える。(たぶん)
チンクエッティは名字だから五木さんとか五条さんとかなのか?
五輪まゆみ?


なんとなく顔は思い出すがどんな歌手だったろう?
そうだ、You-Tubeがある。
1964年 ジリオラ・チンクエッティ 16歳の映像。
『夢見る想い』を歌う。
(字幕はおそらくポルトガル語、後半にフランス語の語りがついてます)
http://www.youtube.com/watch?v=PtbW7zYmYfM

チンクエッティ!
映像をまじまじと見るのは初めてでした。
こんなに美人だったんだ。
感動!
清楚なセーター、ポニーテール、健康的で、かつ控えめな仕草がいい。
イタリアの宝石、ヴェローナに咲いた白い花。(テキトーですが…)
彼女の生まれ育ったヴェローナは「ロミオとジュリエット」の舞台だったはず。
ジュリエットはこんな感じだったのか。
いやいや、おじさん殺しですね。


さらにYou-Tubeを閲覧していく。
1964年のユーロビジョン・ソング・コンテストの映像があった。
ABBAやセリーヌ・ディオン、あのリバーダンスを世界に出した有名な音楽コンテスト。
ジリオラ・チンクエッティは白と黒のシンプルな衣装でこの曲を歌う。
16歳の少女はイタリア勢として初めての優勝に輝く。
http://www.youtube.com/watch?v=PcS5hAgya80&feature=related

まだあるぞ。
僕が子供の頃、日本でも彼女の歌を伊東ゆかりや弘田三枝子がカバーした。
日本でも人気があったのだろう。
『夢見る想い』を日本語で歌う映像もある。
イタリア語と日本語は母音がメインなところは似ている。
彼女の日本語も自然に聞こえる。
ただリップが合っていないので日本語を歌った映像かどうかは不明。
http://www.youtube.com/watch?v=F9yD2AazJFA


ついでに、映画のオープニングタイトルで歌っている映像。
場所はプールサイド、水泳のオリンピックチームのようです。


車のCMみたいな、プロモーションビデオもある。
http://www.youtube.com/watch?v=KC8uDvH6bTg&feature=related


『NON HO L'ETÀ』(夢見る想い)
これだけ聞くとアレンジの古さが耳につく。
イントロはチャイコフスキーのピアノ協奏曲かと思う。
変な電子音がリズムをつけているし。
出来ればギターの弾き語りでシンプルに歌うバージョンが聞きたい。
ローマのアパートの窓辺、あるいは噴水のある中庭のベンチに座って。
ジリオラ・チンクエッティは決してカンツォーネお決まりの派手な歌い上げをしない。
これは好ましい。
乙女のはじらいやあこがれを歌った詞なのであえて抑えているのだろう。


イタリア語の音が耳に美味しい。
歌い出しの ♪ Non ho l'età, non ho l'età per amarti
       ノノリタ ノノリタ ペル アマルティ の“ペラマルティ”という音がいい。
サビの ♪ Lascia ch'io viva un amore romantico
     ラシャ キオ ヴィヴァ ウン アモーレ ロマンティコの“ロマンティコ”がいい。


では、最後に若き日の映像や90年代の映像を交えた訳詞つきの映像を。
http://www.youtube.com/watch?v=sEljWh2MZhw


…久しぶりにiMacをさわった。
日記を書きながらふと思い出してフェリー「さんふらわあ」について検索する。
wikiによると、船体に太陽を描いた「さんふらわあ1」が就航したのは1972年2月。
名古屋〜高知〜鹿児島を結ぶ航路だった。
続いて「さんふわらあ2」も同じ路線に就航。
翌1973年、「さんふらわあ3」が東京〜高知を結んだ。
大阪発の航路に就航するのは1974年の「さんふらわあ11」まで待たねばならない。
僕が中学の頃、テレビで「さんふらわあ」のCMを盛んに流していた。
♪ さんふらわあ さんふらわあ 太陽に守られて ゆこう
僕が頻繁に目にしたのは名古屋路線が「さんふらわあ」の処女航海だったからか。


wikiにはその頃に活躍した「さんふわらあ」のその後まで載っている。
日本での現役引退後はフィリピンや韓国、ギリシャに売却され異国の航路で活躍している。
そのあたりは『まぐろ土佐船』に登場するまぐろ漁船と同じだ。
日本のまぐろ漁船は台湾の船主に売られる。
そして、漁業条約を結んでいない国へ船籍を変えて密漁するのが問題になったという。

1972年にデビューした初代「さんふらわあ」は国内路線を点々としたのち、
2000年に韓国に売却、2005年には北朝鮮に転売されたが、用途は不明とのこと。
いつか新潟港に「さんふらわあ」がやってくるかも?
大阪航路に就航した「さんふらわあ11」は引退後マニラ〜セブ島航路を結んでいた。
しかし、1998年9月に台風で沈没、死者51名、行方不明者213名の悲劇の船となった。


「さんふらわあ」物語、なかなか面白い。



…帰宅後、You-Tubeを見たり、日記を埋めたりして過ごす。
昼過ぎに大阪へ出ようと家を出るが、何となく足が向かない。
阪神電車で西へ、御影で下車し、書店をうろつく。
最近、家を出たもののどこへ行っていいかわからず街角にたたずむことが多い。
まさか52歳になってそんな人間になろうとは予想もしなかった。


御影の立ち飲み『ライオン堂』へ開店とともに入る。
アイリッシュパブでもスペインバルでもないのだが雰囲気が良い。
働く女性スタッフも気が利くし器量がいい。
六甲道の『ちびちび』と似た感じの店。
生ビール小と神奈川の『天青』、串揚げと中落ちで飲む。
値段も格安。


図書館で『ボックス!』の百田尚樹のデビュー作『永遠の0』を借りる。