『ミッドナイト・イン・パリ』@シネリーブル神戸
ことし劇場鑑賞はこれで16本目、月3本ペース。
貯まったポイントで観賞、14:40 の回はそこそこの入り、4割くらいか。
エリントンナンバーにThings Ain't What They Used To Beという曲がある。
粋な邦題がついている。
『昔はよかったね』
そういう人がいる。
今より過去に生きている人。
思い出すのは映画監督のピーター・ボグダノビッチ。
『ペーパームーン』や『ラストショー』はノスタルジアの産物だ。
僕にもそんな懐古趣味がある。
歳とともに今より過去の方が大事に思うようになった。
20年前に生まれてたら良かったのになあ とか時々思う。
タイムマシンがあればその時代に旅行したいと思う。
たとえば1958年夏のアメリカ、東海岸のニューポート。
あの『真夏の夜のジャズ』の会場に行ってみたい。
仮に何かの弾みであこがれの時代にまぎれこむ。
いい時代ですね、と話しかけてみる。
とんでもない、今がいい時代だって?
そこにも自分と同じように、昔は良かったのにな、と過去に生きている人がいる。
二度と手にすることの出来ないものに焦がれる。
人間ってそういうものらしい。
(以下、ネタバレ注意、上の予告編を見ればわかってしまうけど)
主人公ギルはハリウッドの脚本家、売れっ子で高収入、だが大衆受けする作品のリクエストに応えるばかりで本人は満足していない。
今の時代なんて大嫌い、あこがれるのはゴールデンエイジ、1920年代のパリだ。
可愛いフィアンセはマリブやビバリーヒルズの豪邸に住むつもりだが本人はパリの屋根裏部屋に住みたいと思っている。
(こういう人っていますよね)
そんな趣味の違う二人が彼女の両親のつきそいでパリへやってきた。
ある夜、ワインの試飲会が終わり主人公は一人ほろ酔い気分で深夜のパリを歩いていた。
路地裏に座り酔いをさましているとプジョーのクラシックカーが近づいてきた。
誘われて乗り込むと連れて行かれた店は彼の趣味にぴったりだった。
パーティーで若い女性と意気投合、話が弾む。
「いい店だね」
「そうかしら? ジャンが喜ぶわ」
「誰?」
「このパーティーの主催者よ、ジャン・コクトー、知らないの?」
「いや、知ってるとも」
「で、君の名前は?」
「ゼルダよ。ゼルダ・フィッツジェラルド」
「え?」
「彼を紹介するわ、スコット!」
スーツをビシッと決めた男が握手を求めてくる。
「スコットだ。スコット・フィッツジェラルド、よろしく」
「二人は同じ名前だね」
「そうよ。 で、あなたは何をしてるの?」
「ハリウッドで脚本を書いてる、いま小説を書いてて、い、一応 作家なんだ」
「じゃあ、いい男を紹介しよう。おい、アーネスト!」
店の奥に座っていた男はアーネスト・ヘミングウェイと名乗った。
ピアノの弾き語りをしている男はコール・ポーターだ。
(思い出しながら書いてるので台詞は正確ではありません。悪しからず。)
主人公ギルはそこで一人の美女に一目惚れする。
ちょっと前にモジリアーニと別れたばかりの女性アンドレア(マリオン・コティアール)だ。
いまは変わり者の画家パブロとつきあっている。
彼女は言う。
こんな時代に生まれて最低だわ、と。
彼女のあこがれはベルエポック、1890年代のパリだ。
パリの夜に再び奇跡が起こる。
ある日、二人が車で連れて行かれたのはどこか見覚えのある店だった。
Maxim's とある。
中に入るとアンドレアが驚く。
ここは…。
ロートレックがいた。
ドガがいた。
ゴーギャンがいた。
彼らは言う。
こんな時代サイテーだ。
ルネサンスの時代に生まれれば良かった。
作品としてどうかはともかく設定だけで楽しめた。
朝、昼、夜、パリの街の情景がいい。
女優もいい。
さすが女好きのウッディ・アレン。
1920年代の恋人がマリオン・コティアール、2010年のフィアンセがレイチェル・マクアダムス。
主人公ギルの服の趣味がまるっきりウッディ・アレンだった。
本当は自分でやりたかったのだろうが80の老人ではおかしいとさすがに遠慮したのだろう。
シネリーブルを出ると5時前。
神戸が黄金色に染まる。
『八島食堂東店』で軽く飲む。
この季節の老舗の居酒屋はたいてい戸を開け放していて気持ちいい。
瓶ビール、ケチャップソース味のレバー炒め、ネギ入り卵焼き。
小ご飯と赤だしのセットで締める。
南イタリアのような風景@三宮(PhotoSketcherで加工)
ちょっと今日見た映画を思い出す。
酔いを十分に冷ましてから夜9時前に筋トレ&プール。
今日、ヒロがばあばあの病状について医師から説明を受けた。
シリアスな状況が続く。