ぷよねこ減量日記 2009/5-2016/1

旧ぷよねこ減量日記です。2016年1月に新旧交代してます。

2012/11/20 I was born in a crossfire hurricane

【行動メモ】
朝は日記を書いて過ごす。午後からここ数週間でカオスとなった自分の部屋を片づける。
衣類の散乱を小一時間を要して納める。シャツやセーター、スエット類をたたみながら思う。
春夏秋冬を問わず僕は所有している衣類の2割くらいでローテを組んでいて8割は袖も通さずに季節を終える。
2軍に埋もれさせたまま、戦力を無駄にしているどこかの球団を思い出す。いずれ放出してやらねば、と思う。
局で雑用、夜は大阪城公園を5キロ走る。21時過ぎに文楽あけの眼鏡堂氏と合流、天一の「一富士」の串焼きで飲む。
のち、空いていた「よしむら」で至福のひととき。12時前に散会、編成M氏は電話での呼びかけも空しく三宮まで乗り過ごす。
彼はカーリングのスキップ、ウォー、ウォー、ウォーって叫べどもラストストーンはいつもサークルをオーバーする。


一見、たとえば眼鏡堂邸に比べれば、整頓されているように思われるでしょうが、
デスクの向こう側には脱ぎ捨てた衣類のカオスが広がっているのです。
でも、1時間半ほどかけて整理、さっぱりしました。
 


ここは大阪城公園を走るジョガー御用達のランステならぬランニング銭湯なのです。
朝6時から深夜1時まで営業なので朝練にも夜練にも深夜練にも使える。
皇居の近くにある梅の湯と同じシステム、脱衣場で着替えてロッカーのキーを番台に預けて走る。
410円とランステより安くて、しかも温泉(露天やスチーム風呂も)につかれて言うこと無し。
 


番台で「大阪マラソンに出るの?」と聞かれる。
読売新聞の記者(カメラマン)がいた。
出場するなら取材させて欲しいとのことだった。
残念ながら僕らも同じ取材者側なんです。
僕らが走り出す頃、対象者を見つけたらしく脱衣場で写真を撮っていた。


櫻の葉が赤く色づく大阪城内。
城内の天守閣まで全てがランニングコースなので皇居よりバリエーション豊か。
40分ほど走る。
 
おそらくサブスリーペースで走る数人のランナーに抜かれた。
試しに同じペースで後ろについてみる。
300メートルほどつくのがやっと。
 

大阪城温泉は京橋より鴫野(しぎの)の方が近い。
京橋の隣の駅なのに鴫野駅は初めて利用する。
駅の高架下には庶民的な居酒屋や食堂がある。
仕事終わりで走って風呂に入ってちょっと飲んで鴫野から乗れば必ず座れる。 
でも、快速は通過する。
 


21時過ぎ、大阪天満宮(南森町)で眼鏡堂氏と合流。
文楽は太夫の休演が相次いでいるらしい。
イジメ市長 橋下に負けるな!


串焼き「一富士」の掘りごたつにて飲む。
いいんです。走ったんやから。
噂には聞いていたが「一富士」は初めてだった。
おまかせの串焼きが旨い!
スポーツ新番組の話で盛り上がる。
題して、『江夏の23球』
スポーツ“たられば”トークバラエティである。
もし江夏があのシリーズ最終戦であと2球よけいに投げていたら?
石綿のサヨナラホームランで近鉄が日本一、西本監督から、悲劇の、という冠がとれていた。
もし、ソ連がアフガン侵攻しなかったら瀬古利彦はマラソンで金メダルを獲っていた。
横山樹里、広瀬美代子らを擁した女子バレーは史上初の五輪連覇を果たしていたかも知れない。
そんな話はとまらない。
なんと言っても『江夏の23球』という脱力したタイトルがいい。


中2日で「よしむら」のカウンター。
吉村さんのサークルの後輩だった武井壮の話で盛り上がる。
そして、難攻不落の「食堂おがわ」に年明けで攻め込む算段。
シメは半田めんにねずみ大根(辛い!)と味噌。
徳島と長野のコラボ最高っす。
ほろ酔いの頭がシャキッとします。
 


本日のタイトル「I was born in a crossfire hurricane」はストーンズのジャンピング・ジャックフラッシュの歌詞だ。
先日、ぴんからトリオの宮史朗さんが亡くなった。
享年69、1943年生まれ。
ミック・ジャガーやキース・リチャーズと同い年。
1943年……ナチスドイツの空爆に曝されていた頃か。
昭和18年、日本も敗色濃厚。


まさに in a crossfire hurricane な時代だ。
意味不明だがまさにロックな歌詞。
貼りつけた動画を同時再生してみてください。
日英コラボのクロスファイアーハリケーンな女のみちを堪能出来ます。
変な想像してしまう。
宮史朗とミック・ジャガーが高校の同級生だったら、と。
でも、イケてるかイケてないかは別として僕らの学生時代にもこんなコントラストありましたよね。
一瞬、「桐島」を思い出してしまった。