ぷよねこ減量日記 2009/5-2016/1

旧ぷよねこ減量日記です。2016年1月に新旧交代してます。

2014/1/13 ああ、阪急ブレーブス!

きょうは休養日、仕事もオフです。
朝と夕方に二度もプールへ行って30分ずつ泳ぎました。


読了しました。

勇者たちへの伝言 いつの日か来た道

勇者たちへの伝言 いつの日か来た道

生島氏の紹介した「赤ヘル1975」が広島カープ小説なら、「勇者たちへの伝言」は1988年に消滅した阪急ブレーブス小説だ。
この本は西宮球場跡の日本最大級のショッピングモールで見つけた。
小説の舞台となる「阪急西宮ギャラリー」の1階下、4Fのブックファーストで大々的にキャンペーンを張っていたのだ。


阪急西宮ギャラリーにある西宮スタジアムと周辺のジオラマ。
    


僕がスポーツニュースの仕事を始めたのが1988年の3月だった。
阪急ブレーブス南海ホークス2チームの球団担当になった。
9月、両チームは相次いで身売りし、チームは永遠に消えた。
好きなのは阪急ブレーブスだった。
当時、阪急は黄金期の遺産があってまだまだ強かった。
プロ野球ニュースで知った選手が何人も残っていた。
知将 上田利治のもと、山田久志福本豊松永浩美佐藤義則石嶺和彦ブーマー・ウェルズ星野伸之福良淳一本西厚博山沖之彦…。
現役最後のシーズンだった山田久志にインタビューした。
帽子のつばで顔が見えへん、と古参カメラマンに言われ、
すいません、つばを少しあげてもらえませんか、と言うと、
恐い顔で、顔なんか見えんでええ、と一喝された。
あの当時のベテラン選手は強面で恐かった。
スポーツ選手がバラエティやトーク番組に出る時代ではなかった。
ましてや、パリーグの選手なんて絶対に呼ばれることはなかった。


この球場正面の勇者マーク、懐かしい。
  


「勇者たちへの伝言」は僕の好きなものが詰まった小説だ。
阪急ブレーブス  西宮球場  ロベルト・バルボンの関西弁
代打男 高井 サウスポーエース梶本  髭とサングラスの森本、
競輪開催のときにだけ出来る外野スタンド裏の飲食店…。
武庫川河川敷で大正時代からマラソン大会が開かれていたことを知った。
主催は神戸の運動靴メーカー、おそらくオニツカ。


もうひとつ、僕の好きなものがあった。
小畑実の「星影の小径」


  ♪ しずかに しずかに 手をとり 手をとり
   あなたの ささやきは アカシアの香りよ


ラスト10ページくらいで頭の中にこの歌が流れてきた。
心拍数が上がり鼻のあたりがつんと熱くなった。
淀みが消え、水が流れ、血管が浄化されていくような感覚。
いい小説でした。
阪急や西宮に思い入れがなくても十分に読む価値はある。


関西の放送作家のデビュー作。
増山実は僕と同世代の1958年生まれ。
書き出しに今の関西のテレビやラジオ業界の現状が描かれる。
50歳の構成作家なんて賞味期限切れ…。
身につまされて。


語り手は50歳の放送作家だが、過去の物語の語り手は、
1960年代に帰国事業北朝鮮へ渡った西宮生まれの女性。
地獄のようなどん底の暮らしの中で彼女は言う。


 夫はキューバに帰ったバルボンの幸せを
 祈ることを忘れませんでした。
 誰かのしあわせを祈ることで、人は自分自身の苦しみから
 解放されるのかもしれません。


ストーリーテリングが上手い。
あ、彼が…! ああ、あのときの話がこれだったのか、みたいな。
フランク・キャプラビリー・ワイルダーの映画を思い出す。
実はご都合主義も見え隠れし、少々強引なとこもある。
好き嫌いは分かれるだろう。


…ごはんのとき、たまたま月見うどんの話になる。
その流れで卵の話になって、そういえば…。
子どもの頃、市場に卵だけ売ってる店ってあったよな。
八百屋にした陳列台にもみ殻が敷いてあって、
その上に玉の大きさ別に卵が並べてあった。
3つでも5つでも新聞紙に包んでくれた。
そういえば…。
あの卵屋さんの卵って冷蔵してなかったよね。
今だってスーパーの卵売り場は常温だよね。
昔は家でも駕籠にいれてふきんをかぶせて保存してたような。
いつから冷蔵庫で保存するようになったのか。

   


…夜はプールへ行ったあと、豚肉と白菜のこくまろ鍋。
前回よりニンニクと生姜のカットの仕方を変えました。
風味がアップ。
シメは細ちぢれ中華麺と雑炊。
旨し。