2010/12/8 1Q80

ラジオから「イマジン」が何度も流れている。
ジョン・レノン没から30年が経つのか…。
はぁ、30年? あれから30年!
殺される直前に『ダブル・ファンタジー』というアルバムが出た。
まだCDじゃなくてLPがメインだったと思う。
(あくまで僕の脳内記憶です。事実関係は前後しているかもしれない)
僕はFMでエアチェックして(この用語古いね)、カセットテープで何度も聞いた。
「スターティング・オーヴァー」「ウーマン」「ウォッチング・ザ・ホイールズ」
「ビューティフル・ボーイ」は愛息ショーンに捧げるやさしい曲だった。     
    


その年、僕は大学を休学、ヨーロッパへの旅行資金を稼ぐバイト生活の1年だった。
すでに同級生は就職していた。
落ちこぼれて自分は本当は何がしたいのかよくわからない時期だった。
「ウォッチング・ザ・ホイールズ」の歌詞は自分のことを歌っているように思えた。


  People say I'm crazy doing what I'm doing
  Well they give me all kinds of warnings to save me from ruin
  When I say that I'm o.k. well they look at me kind of strange
  Surely you're not happy now you no longer play the game


  I'm just sitting here watching the wheels go round and round
  I really love to watch them roll
  僕はここに座ってぐるぐる回る車輪を眺めるだけ。
  こうしているのがホントに好きなんだ


1980年、ウィキペディアで調べると激動の年だったことがわかる。
ポール・マッカートニーが大麻所持で成田空港で逮捕、韓国で光州事件、
大平首相が在任中に死去、鈴木善幸内閣が発足、モスクワ五輪ボイコット、
新宿西口バス放火事件、イラン・イラク戦争勃発、ポーランドで「連帯」が結成、
金属バット殺人事件、山口百恵引退…。
はあ〜、とタメ息。
これがもう30年前の出来事なのか。


…今日は真珠湾攻撃、大国アメリカに宣戦布告した日でもある。
日本が、結果として悲惨な結末を迎えることになる。
1941年、今から69年前のこと。


実はちょっと驚いたことがある。
百田尚樹の新刊『錨を上げよ』の帯だったか裏表紙だったかに紹介文があった。


「戦争が終わってちょうど十年目、いまだ空襲の跡が残る大阪の下町に生まれた作田又三。
 高度経済成長、六十年安保闘争、東京オリンピック、大阪万博、よど号ハイジャック事件、
 日本列島改造論、石油ショック―激動の昭和の時代、生まれながらの野生児、
 作田又三は、人生という荒海を渡っていく。いざ、海図なき嵐の海へ。
 さあ、錨を上げよ! 疾風怒濤の2400枚。圧倒的青春小説。」

錨を上げよ(上) (100周年書き下ろし)

錨を上げよ(上) (100周年書き下ろし)

錨を上げよ(下) (100周年書き下ろし)

錨を上げよ(下) (100周年書き下ろし)


おやっと思ったのは、
「戦争が終わってちょうど十年目、いまだ空襲の跡が残る大阪の下町に生まれた…」のくだり。
小説の主人公は1955年生まれなのだ。
僕が生まれたのは1957年とほぼ同世代。
戦争が終わって12年後…!
そうか、まだ12年しか経っていなかったんだ。
現在から12年前って1998年、長野五輪の年、ついこの前じゃないか。
(自然と五輪開催年をマイルストーンにしてしまいます)
時代の密度が違うと言ってしまえばそれまでだけど、紛れもなく12年という時間は同じのはず。
「戦争が終わって12年後、僕はいまだ空襲の跡が残る名古屋の郊外で生まれた」
こう書くと自分がずいぶんジジイになってしまった気がする。


そういえばセルジオがもうすぐ誕生日だ。
奴もまたひとつジジイになるわけだ。
2ヶ月後には僕も後を追ってジジイになる。
54歳、公務員ならあと1年で退職、満期終了じゃないか。
自分がこんな年齢になることなんて想像もしなかった。
いや、正味の話。


村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』を思い出した。
その第1章「誰にミック・ジャガーを笑うことができるだろう?」にこんなことが書いてある。



  僕は今、50代の後半にいる。
  21世紀なんてものが実際にやってきて、
  自分が冗談抜きで50代を迎えることになるなんて、
  若いときにはまず考えられなかった。
  (中略)
  ミック・ジャガーは若いときに
  「45歳になって『サティスファクション』をまだ歌っているくらいなら、
   死んだ方がましだ。」と豪語した。
  しかし、実際には彼は60歳を過ぎた今でも『サティスファクション』を歌っている。
  そのことを笑う人もいる。
  しかし、僕には笑えない。
  若き日のミック・ジャガーには45歳になった自分の姿を想像することが出来なかった。
  (中略)
  そして現在、僕はその「想像もつかなかった」世界の中に身を置いて生きている。
  そう考えるとなんだかおかしくもある。
  僕にとって-あるいはほかの誰にとっておそらくそうなのだろうが-
  年をとるのはこれが生まれて初めての体験だし、
  そこで味わっている感情も、やはり初めて味わう感情なのだ。
  以前に一度でも経験したことであれば、
  もう少しクリアにいろんなことが腑分け出来るのであろうが、
  何しろ初めてなのでそんな簡単にはいかない。
        (村上春樹「誰にミック・ジャガーを笑うことができるだろう?」より)


 
だから年をとって、それをありのままに受け入れて生きることは、
走りながら空に浮かぶ雲を見ることに似ている、とある。
わかるようなわからないようなブンガク的な表現で締めている。
だから、年をとることも、走ることも、まんざら悪いことでもない。
何せ、40歳であろうが、50歳であろうが、18歳であろうが、88歳であろうが、
みんな本人にとっては初めての体験なのだから。 


ジョン・レノンに命日にミック・ジャガーで締めるってどうなんだろ?


…ニュースデスクは今日も無風。
18時過ぎには閉局して福島の『中国菜オイル』へ行く。
びわ湖大学駅伝のスタッフ4人でプチ打ち上げ。
念願のおまかせコースを堪能する。
前菜4品に、広東風とろみスープ、牛肉とブロッコリーのオイスターソース炒め、
鯛の広東風煮、青菜のにんにく炒め、中華粥、杏仁豆腐。
これで一人2800円です。
旨し紹興酒で食も進み、名物の麻婆豆腐、海鮮あんかけ焼きそばを追加。
でも、野菜がたっぷり食べられてバランス良しです。
次は原点に返ってランチへ行きたいな。