2013/9/24 続 オリンピックの身代金

朝、30分ちょっとだけどジムで筋トレをする。
一日おきに週3回ペースだ。
マシントレーニングは苦手なので1時間みっちりするより軽めに隔日ペースの方が続くかも。
おかげで以前のように筋肉痛がほとんどない。
体脂肪率もコンスタントに19%台になった。


…血液検査の結果を知る。
M医師が、オールOKです、と言う。
今回調べた項目はすべて基準値内だった。
オールセーフは5年ぶりくらいだろうか。


   


中性脂肪の95は立派でしょ。
基準値も検査会社によって差がある。
ヘモグロビンA1c の値などは5.8 を上限とするところもあるので 6.2 もあったら糖尿病予備軍になる。
(実際、ここ数年ではもっとも高い)
でも、血圧と同じく、基準値を厳しくするのは製薬会社との思惑もあったりでどうも信用出来ない。
概ね良好ならそれでいい。


クリニックへ寄った足で夕食。
少し野菜をとろう、と思うと手軽な外食では中華くらいしか思いつかない。
天満の王将、ニラレバ炒めと小ライス。
長崎ちゃんぽんのリンガーハットが近所にあればいいんだが…。


…ニュースデスク5連投の3日目。
夜は市民ランナーに電話取材する。
相手は宮城の46歳の男性ランナー。
自分たちも震災から立ち直り新たな一歩を踏み出したと行方不明の両親に報告するために大阪を走りたい、とのことだった。
両親は石巻津波にあった。
聞けば市内ではなく雄勝町(おがつ)だという。
今年5月、南三陸町から石巻へ車を走らせていたときにたまたま雄勝被災現場を見た。
多くの子供たちが亡くなった大川小学校の南、静かな入江の町。
津波から2年が経つのに町ごと消えて、そこには残骸だけがあった。
三陸のように更地ではない。
狭い土地ゆえ流された車や壊れた家々が入江の奥の山中にまで持ち上げられている。
ランナーの話では津波の高さは40mを越えたという。
ガレキの撤去も進んでいない様はあの日の惨劇をリアルに残し、そのまま時を止めていた。
同行したY も同じことを思っていたらしく、ひどいなあ、ここは、とつぶやいた。
その日の日記にも書いてなかったし、写真を撮るのもためらわれた。
男性ランナーの両親は海に消え、ひい爺さんと飼っていた犬だけが生き残ったという。
実は、まだ、立ち直ってないんですよ、と言う。
リアルな話、両親の生命保険も、住んでいた土地の保証も、国の援助も何もないまま。
自力で何とか生きているのだと言う。


小説「オリンピックの身代金」に描かれた1964年以前を思い出す。
今もあのときと変わっていない。
2020年は決まってしまった。
税金は東京で使われるだろう。
東北の人の多くはまた労働者として東京へ出稼ぎに行くしかない。
前回と違うのは外国人労働者という競争相手がいることだ。
反省はしない。
見捨てて突っ走るニッポンのDNA。
もしかして、この国はそれこそがベストのソリューションと信じているのかもしれない。


(数日後、宮城のランナーから取材を辞退したいとのメールが届く。自分らが被災したことは近所の人には隠しているという。)



kindle三陸鉄道のコミック「さんてつ-日本鉄道旅行地図帳 三陸鉄道 大震災の記録-」読む。 

あの日、北リアス線南リアス線を走っていた列車はまさに「あまちゃん」と同じトンネルに閉じ込められた状況だったのだ。
(というか、これが現実にあってドラマになったのだが)
2006年秋に久慈から宮古までドライブした。
そのときは7年後に起こることなど想像も外だった。
日記にこんなことを書いた。


   緑の渓谷沿いに走り久慈に到着。
   道の駅で豆腐田楽と串もちを食べる。
   民主党党首 小沢一郎のポスターがやたら目立つ。
   岩手は小沢の地盤だったか。
   空は曇ってきた。
   三陸海岸、南方の珊瑚の海でないのだし、
   必ずしも晴れてなくてもいいか。


   道路のところどころに
   「津波ここまで」という看板がある。
   津波がここまで来たよ、ということなのだ。


   黒崎という展望所に寄る。
   そしてハイライトの北山崎、大型の観光バスが停まっている。
   断崖の展望台までに土産物屋やレストハウスが並ぶ。
   第一から第三までの展望台を歩くと小1時間ほど費やす。
   素晴らしいのは第二展望台、より海に突きだしたところにある。
   北山崎、海面から200メートル切り立った荒々しい断崖が続く。
   海のアルプスと呼ばれる。


   三陸は山国である。
   200メートルから800メートルの山岳地帯がそのまま太平洋と対面している。
   山が海と直接対決し、互いに拮抗している様がリアス式海岸だ。
   ドライブしても海岸線に沿って走る道は少ない。
   あたかも山岳地帯、丘陵地帯を行くかのようだ。
   はっきりと海 はっきりと陸.
   陸と海が友好的に仲良くして交わるという処がない。
 

   さらに南下。
   たまたま寄った場所だった。
   「鵜の巣断崖」と名付けられた海岸。
   僕のお気に入りの場所となった。


   


   駐車場に車を置いて500メートルほど遊歩道を歩く。
   女性の二人組がいるだけ、北山崎の喧噪は無い。
   歩道のどん詰まり、その先は海、真っ逆様に200メートル落ち込む。
   そこからの展望が素晴らしかった。
   これぞ絶景!


   断崖が5列に渡って北へ連なる。
   海と山、実にシンプルな配置。
   北山崎のように植生として松が目立たない分、異国の風景のよう。
   スコットランドアイルランド、北カリフォルニア、北部スペイン…。
   ラッコやアザラシがいそうな風景。
   はるか下の海面から、ドッカーンと爆音のような波音が聞こえる。
   太平洋の荒波の吼える声。
 

   空は鉛色。
   ニュージーランドワインに「クラウディベイ」という銘柄がある。
  (美味なワインで水墨画のようなラベルが渋い)
   ここ「鵜の巣断崖」は「クラウディクリフ」
   主要道路から2キロも海側に入らねばならないアクセスの悪さが静けさを残している。


   遊歩道に吉村昭(最近故人になった)の文学碑が建っている。


      水平線に 光の帯が流れている 
      漁船の数はおびただしいらしく 
      明るい光がほとんど切れ目もなく 
      点滅してつらなっている 
      それは夜の草原に壮大な陣を布く大軍の篝火のようにみえ 
      光が 水平線から夜空一面に広がる 
      星の光と同じまたたきを くりかえしていた


                          吉村昭「星への旅」より


   この鵜の巣断崖の壮大な眺めからインスピレーションを受けたそうな。
   「星への旅」は確か純文学の短編集、まだ読んだことがない。
   故吉村昭三陸の貧しい寒村を舞台にした記録文学「破船」を書いている。
   飢餓にあえぐ三陸海岸の村が沖を行く船をたいまつで誘い、村人が船を襲う話。
   「おふねさま」と呼ばれる悲しくも恐ろしい略奪行為。


   ここでおさらい。
   陸奥(むつ)・陸中・陸前の3つの地区のことを「三陸」と言います。
   三陸海岸=陸中海岸とも言いますが、
   これは、国立公園にするために活動した際、
   陸中にあたる宮古浄土が浜が中心に活動し、
  「陸中海岸国立公園」の名称になったから、なのです。

                               (2007/10/11)


三陸の旅を思い出した。
また“お気に入りの場所” 鵜の巣海岸へ行けるだろうか。