ぷよねこ減量日記 2009/5-2016/1

旧ぷよねこ減量日記です。2016年1月に新旧交代してます。

2010/4/14 葉桜の季節に秋を想う。

数年前に「葉桜の季節に君を想うということ」という小説を読んだ。
絶対映画化不可能と銘打ってあった。
ラストの種明かしで、まさにその通り! と膝を打った。

さて、今こそが葉桜の季節です。
今朝、図書館へ本を返しに行き、夙川沿いを歩いた。
桜色の絨毯、新緑の芽吹き、山吹、レンギョウ、ハナミズキの花…いい季節です。
何枚も写真を撮る。



…テレビや新聞は内閣支持率の低下ばかりを報じる。
えらいこっちゃ、どうなるんだニッポン、みたいなトーンが濃厚。
世論調査ってどうなんだ? と常々思っている。
国民はこう思ってる、という指標が世論調査。
世論調査。
最近、やたらと多くないか?
新聞・テレビは隔週くらいで発表している印象がある。
昔ってこんなにやってたのだろうか?
世論調査で世論が左右されるってどうなんだ?
そもそも世論調査結果って信じられるの?


Twttter経由でこんな時評にたどりつく。
http://opinion.infoseek.co.jp/article/762
一部引用。


 アメリカには複数の世論調査専門会社がある。
 ピューリサーチセンターやギャラップなどが有名だが、
 いずれも世論調査の正確さに命をかけている。
 専門会社であるから信用を失えば潰れる。
 新聞社やテレビ局の片手間とは訳が違う。
 しかもわが国の新聞とテレビには捏造報道の伝統がある。
 朝日新聞には「伊藤律単独会見」や「サンゴ落書き事件」など、
 読売新聞には選挙の当落予測データを書き換えて
 気に食わない政治家を落選させる伝統がある。
 ましてテレビは捏造報道が日常茶飯事だ。
 (中略)
 昔は新聞社もテレビ局も1回に1500万円程度の予算をかけて調査をしたが、
 今では150万円程度の予算で下請けにやらせていると言う。
 十分な予算があれば年齢、性別、職業別、地域別など対象に
 偏りがない調査を行なう事は可能である。
 しかし現在の方法はRDDと言って、コンピューターで電話番号を抽出させるやり方である。
 これだと固定電話にしかかけられない。


 固定電話に出てくる対象が果たして偏りのない国民と言えるのか、はなはだ疑問である。
 しかも顔の見えない相手とじっくり会話をする者はいない。
 電話をかけられた方はなるべく早く電話を切りたいに違いない。
 そんな状態なら答えを誘導するのは極めて簡単である。
 調査をする側の意図通りの回答を引き出せる。
 世論調査が頻繁に行なわれれば行なわれるほど予算も少なくなるから、
 結果もいい加減さを増す。つまり年に2,3度の世論調査なら信用もできるが、
 毎月とか毎週となると眉に唾をつけなければならない。


自分のことを考える。
自宅の固定電話を使うのは月に一度か二度。
いや、二度もないかも。
以前、テレ朝から世論調査依頼の留守電が入っていた。
基本、自宅の固定電話は留守電にしている。
夜10時過ぎにその電話はかかってきた。
どうも出る気にならなかった。
出たとしてもじっくりと対応しようという気には決してなれない。
とっとと答えて終わりにするか、無視するか。
無視した。
その裏に世論調査への不信感があったのは確か。
不信感を持っている人は答えないだろうなと思った。
たまたま答えてもいいな、と余裕のある日もないではない。
そんな時にかかってくることなんてまず無いですよね。



…今日はリニューアルする『SPOR+』のスタジオ編集。
といっても僕がディレクターではない。
監修、みたいな。
けっこうなご身分で、と内なる声も。
深夜24時過ぎに帰宅。
寒い。


…SONGSは岩崎宏美だったそうな。
夜、窓際のA部さんよりメールが届く。
「思秋期いい曲です。改めて歌詞を聞くと阿久悠は偉大な作詞家ですね。」
阿久悠本人も著書『歌謡曲の時代』でこの曲について語っている。


 秋がなくなると感傷がなくなる。
 もの想うということも、せつなさということも、
 人恋しさも、惜別の情も、孤独との共棲も、心の脱皮も、
 すべてなくなってしまう。
 心が微妙に反応し、微妙に変化し、微妙に成長する季節を失ってしまうことになるのだ。
                          (阿久悠『歌謡曲の時代』32頁 )


♪ 無邪気な春の語らいや  はなやぐ夏のいたずらや
  笑いころげたあれこれ  思う秋の日…


後藤正治の著書に『秋の季節に』というエッセイ集がある。
スポーツ選手にも春夏秋冬の季節がある、と後藤氏は書いている。
栄光、挫折、肉体の限界…艱難辛苦を経験し選手に存在感が増し語る言葉に説得力が生まれる。
秋はスポーツ選手として味わいが出る季節だ。
第一線で10年以上頑張った選手の30代は普通の人の50代、60代なのかもしれない。
晩年の選手には語るべき物語がある。
僕らが仕事でインタビューして常に思うこと。
5分ほどの短いインタビューであっても心にとまる一言がある。
それは決まって「秋の季節」にある選手だ。



若き日の『思秋期』と聞き比べ。



もう一曲。
岩崎宏美『あざやかな場面』、僕が一番好きな曲。
同じく阿久悠と三木たかしコンビの名曲です。
ワルツです。
阿久悠が「場面、という言葉が好きである。」とエッセイに書いている。