2010/12/2 『仏果を得ず』

表紙はまるで少女漫画のよう。
描いたのは漫画家の勝田文という人です。


三浦しをん『仏果を得ず』読了。
半分過ぎてからは一気読みでした。
最終章は「仮名手本忠臣蔵」、主人公に健大夫(たけるたゆう)と相棒の兎一郎が、
暮れの国立劇場で大役「早野勘平 腹切りの段」を演じる。
文楽青春物語!
文楽の“ルーキーズ”であり、文楽の“風が強く吹いている”だった。
浄瑠璃を語る描写に「ぷよねこ落涙の段」となった。
文楽はここまで熱い!


 俺が語る声も、兎一郎兄さんの三味線も、人形を遣う十吾の息づかいも、
 客席からの熱気も、すべてが勘平という架空の人物のための糧に過ぎない。


 これが劇だ。時空を超え、立場の異なる人々の心をひとつの場所へと導く。
 これが劇の力だ。
 「思へば思へば、この金は、縞の財布の紫摩黄金。仏果を得よ」
 ああ、哀れなり忠臣郷右衛門。
 いつも綺麗事ばかりで道をはずさぬあんたは決してこの境地にたどりつけやしないんだ。


 金色に輝く仏果などいるものか。成仏なんて絶対にしない。
 生きて生きて生きて生き抜く。
 俺が求める者はあの世にはない。
 俺の欲するものを仏が与えてくれるはずがない。
 仏に義太夫が語れるか。
 単なる器に過ぎぬ人形に、死人が魂を吹きこめるか。
 勘平は最期の力を振り絞って絶叫する。
 「ヤア仏果とはけがわらし。死なぬ死なぬ。
  魂魄(こんぱく)この土に止まって、敵討ちの御供する!」


 忠臣蔵と銘打ちながら、この物語の本当の主人公は忠臣ならざる早野勘平だ。
 忠臣ならざるすべての人々が、この劇の主人公だ。
 「さらばさらば、おさらばと、見送る涙、見返る涙、
       涙の浪の立ち返る人もはかなき次第なり」
 語り終えた健は、兎一郎の奏でる段切れに乗って、
 観客と勘平の魂が昇華されていくさまを見た。


 万雷の拍手。
 ミラちゃんが、真智が、生まれた場所も時間も生きてきた境遇もちがう人々が、 
 舞台に向けて一心に手を叩いている。
 忠義に翻弄されるひとの心の苦しみと葛藤を描いた『仮名手本忠臣蔵』は、
 二百五十年以上の時を経ていまも生きる。
 健は肩で息をし、床の裏へ下り立った。
 ぬぐってもぬぐっても汗が流れる。



8月に見た舞台を思い出す。
汗びっしょりになって顔を紅潮させていた大夫の熱演の様を。
もういちど見よう。
文楽の公演情報を調べてしまう。
何かを見る時、知っておくべきことは必ずあると思う。
次に文楽を見るのが凄く楽しみになった一冊でした。
先ずは大夫の語りと三味線。
いずれ人形の奥義を知るのだ。
(知識としてです)


新春は大阪の国立文楽劇場、これは行こう。
そして3月の地方公演!
演目にあった!
仮名手本忠臣蔵』、しかも「早野勘平 腹切りの段」
尼崎のアルカイックホールに来る。
先日、文化芸能組合の成人病検診をしたホールです。
そういえば文楽一座の面々は僕とおなじ大阪文化芸能健康保険組合だ。
ずらり人間国宝、凄い組合員です。


文楽のポスターはなかなかに美しい。


文楽の魅力にとりつかれた三浦しをんさんがガイド本を書いている。
『あやつられ文楽観賞』、さっそく図書館で予約する。

あやつられ文楽鑑賞

あやつられ文楽鑑賞



文楽で検索してYou-Tubeを見ていたらこんな動画があった。
たぶんNHKのドキュメンタリー番組からの映像。
10年以上前のもの。
文楽人間国宝 七代目竹本住大夫(当時77歳)が京都を歩く。
引退した師匠 越路大夫(当時88歳)に教えを請うために来た。
その二人の人間国宝の稽古のシーンが凄い。
マジで見入ってしまった。
引退したはずの越路大夫の語りに鳥肌が立った。
絶頂期に三味線が自分の声に合わせて音を下げたのに気づき現役を退いた。
義太夫の修行は一生では足りなかった。もう一生欲しかった」