2012/10/29 Suffering is optional

きのう、21.0975キロを走った。
5年ぶりにエントリーしたレースだった。

 

雨の中、走りながら箱根駅伝中継で流れたサッポロビールのCMを思い出した。
村上春樹の文章、是枝裕和監督の映像、仲間由紀恵のナレーション、明星の音楽。
映像と音楽が村上春樹の文章に味をつけ、深い意味や情感をプラスする。
言葉が手造りの純米酒としたら、画や音は絶品の肴だ。
映画(ショートムービー)にはこういう業が出来るのだと感心した。
まだ夜の明けきれないトラックで大学の陸上部員たちが、
白い息を吐いて走るブルーを基調とした映像にナレーションが流れる。


   痛みは避けられない。

   でも、苦しみは自分次第だ。

   あるとき、そんな言葉を覚えた。

   そして、長距離レースを走るたびに、

   頭の中でその文句を繰り返すようになった。

   きついのは当たり前、

   でも、それをどんな風に苦しむかは自分で選びとれる。

   Suffering is opitional 

   へこたれるもへこたれないもこちら次第。

   苦しいというのは、つまり、

   僕らがオプションを手にしているということなのだ。


 
 
いっしょに走ったMは15キロ過ぎで靴擦れを起こした。
初めての経験だったらしい。
 
  Pain is inevitabel, Suffering is opitional
  (痛みは不可避、苦しむかどうかは自分で選びとれる)
 
彼がCMを憶えていて、このフレーズを思い出したかどうかはわからない。
けれども、激痛に耐えゴールまで走り続けた。
目標には遠い不本意なタイムしか出ないとわかっていても…。
 
苦しむことをオプションでわざわざ選ぶ?
実生活で、そんなバカなことはしない。
たいていの場合、向こうから勝手にやってくる。
 
  Suffering is opitional 
 
苦しみがオプションであること、それはきっと贅沢なことなのだ。
だから、僕は、たぶん、またどこかのレースのスタートラインに立つだろう。


和歌浦ベイマラソンにはおよそ13000人のランナーが参加した。
4割近くが女性ランナーだったらしい。
一人で走っている女性はどんな人でも二割増しくらい素敵に見える。
きっと彼女は忙しい生活の中、時間をつくり、ランニングシューズを履いて、
どこかの街で、一人で走り続けてきたのだ、と勝手に想像する。


 


例のCMに別バージョンがある。
子供たちの運動会、ハンディカメラで撮影した懸命に走る子らと
応援する父兄の映像にナレーションが被さる。


   僕や、あなたのような普通のランナーにとって、

   レースで勝ったか負けたか、そんなのは大した問題じゃない。

   自分の掲げた基準をクリア出来たかどうか、それが何よりも重要になる。

   判断はあなた自身に委ねられている。

   自分の中でしか納得出来ない物ごとのために。

   他人にはうまく説明出来ない物ごとのために、

   長い時間制をとってしか表せない物ごとのために、

   僕らはひたすら走り、また、こうして小説を書く。

                      (文 村上春樹


この手の文章は走ったあとで読むとビンビンと感じるものがある。
そうそうそうですよね、と。
僕はもう補欠じゃない。
チームのレギュラーでエースだ。
恥ずかしながら走ってるときは自分がヒーロー、ヒロインなのです。
マラソンを走る人は多分にナルシシストであることを自覚しておかねばなりません。