京都三条、古川町のレトロな商店街の路地にある喫茶店で朝のコーヒー。
小林聡美主演の映画に出てくるようなたたずまいの街場のカフェ。
ご近所のお年寄りの常連客がそれぞれのモーニングタイムを過ごしている。
たっぷりと待たされて出てきた珈琲は普通に美味しかった。
ブレンドは飲み飽きない味。
味の形容は難しいけれど毎日飲むコーヒーはこういうのがいい。
青いマフラーを巻いた女の子が白い息をはきながら店の前で自転車をとめる。
店に入って、おはようございます、と店主に声をかける。
バイトの子だ。
4人がけのテーブルでロシアの文豪のような老人が一人、本を読んでいる。
その隣でサンダル履きのばあさまが二人、街の噂話。
眼鏡堂はスケジュール帳を広げて何やら書きこんでいる。
窓の外に風花が舞い始めた。
…珈琲を飲み終えた僕は四条河原町まで歩く。
眼鏡堂氏はしばらく店にいるという。
白川沿いに祇園新橋を抜け南座の前を過ぎ四条大橋を渡る。
木屋町を下り昨日の「食堂おがわ」を覗く。
ぼくデジカメ忘れてませんでしたか?
若い店主は丁寧に対応してくれたが見つからず。
YASAKAタクシーの忘れ物センターに問い合わせるが見つからず。
烏丸まで歩き地下鉄で京都駅へ。
近鉄電車で奈良へ向かう。
西大寺駅前でラジオ出演を終えた眼鏡堂氏と再合流する。
西大寺からタクシーでワンメーター、秋篠寺を訪れた。
苔の庭と本堂。
「寂寞(せきばく)」と眼鏡堂氏は表した。
冬の光と影、風の音と鳥の声、ひっそりと、端正に。その古寺はあった。
国宝である本堂の中に天女の像がある。
センターポジションには薬師如来、周りを帝釈天、地蔵菩薩が囲むように並んでいる。
向かって左端に伎芸天(ぎげいてん)が祀られている。
芸術を司る守護神、ギリシャ神話で言うところのミューズだろうか。
(MusicやMusiumの語源)
端っこに位置しているがこの寺の一番人気はこの天女立像であるらしい。
(秋篠寺のこの像が日本に現存するただ一体の伎芸天)
諸々の み佛の中の伎芸天 何の えにしぞ われを見たまふ 川田順
とあるブログにこんな記述があった。
「秋篠寺といえば伎芸天で、美しい魅力尽きない伎芸天像に憧れてわざわざ大和まで来られる女性が引きも切れないことは異例です。
特にキャリアーウーマンには絶大な人気を誇っております」
なぜキャリアウーマン?
本堂にはそれらしき一人旅の女性の姿があった。
眼鏡堂さんも仕事仲間のキャリアウーマンに勧められたとのこと。
なにゆえに働く女性を惹きつけるのか?
(キャリアウーマンという呼称もすでにほぼ死語なれど)
頭部は奈良時代、平安時代の火災で損傷を受けた身体は鎌倉時代に造られた。
その眼は見つめ続けてきた。
平安遷都も、源平合戦も、応仁の乱も、関ヶ原の戦いも、幕末の激動も、太平洋戦争も。
天女さま、見てこられたんですね。
じっと手を合わせる。
仏像マニアがいるというのは知っていた。
この秋篠寺のように静かに仏像と向かい合えるならマニアならずとも心の滋養になる。
外から射し込む自然光、その間接照明を受けて浮かび上がると天女 伎芸天。
本堂の前にモクレンの木があり蕾をつけていた。
3月半ばあたりにまた来てみよう。
秋は萩が咲く萩の寺でもあるそうな。
大和古寺巡礼、趣味が枯れてきた。
秋篠寺のバス停の近くに奈良けいりんがある。
時間つぶしに覗いてみると今日はレースはなく場外車券の売り場だった。
県営の古い施設、大きな体育館のような売り場に昭和のオヤジたちが集まっていた。
JRAのように女性の姿は皆無。
ふたたび近鉄電車で移動、奈良で下車。
ならまちを歩いて猿沢池、興福寺の国宝館へ行く。
眼鏡堂氏は仏頭(ほとけのあたま)に感動。
発見されたのは昭和に入ってかららしい。
頭だけでも圧倒的な存在感は放つ。
そして白鳳時代の端正な美。
奈良時代よりさらに古い藤原京(橿原)の時代の作、天武天皇や持統天皇の治世だ。
はるすぎて なつきにけらし しろたえの ころもほしてふ あまのかぐやま 持統天皇
飛ぶ鳥の 明日香の里を 置きて去なば 君があたりは 見えずかもあらむ 持統天皇
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/ff/9ac6d6b2f1057569c89daf465f580ea5.jpg
2年半ぶりに阿修羅像に会う。
前々から阿修羅像の正面は貴乃花に似ていると思っていた。
あの武蔵丸を破って優勝したときの鬼神の顔を思い出す。
東大寺の戒檀院に四天王像がある。
そのひとつ多聞天は朝青龍にそっくりだという。
鹿の子ら そこのけそこのけ ヤンキースが通る 読み人知らず
4歳のころ、鹿に囲まれて泣き出した子は40年後、鹿の群れを畏れず闊歩する不惑を越えた男になった。
…東大阪の名刹極楽寺にて大分日田産の野生のセリと原木椎茸を味わう。
スペシャルゲストは眼鏡堂氏と心優しきフランカー、ジャパンの選手でもあるタウファ・統悦。
普段は日本語を自由に操るが、やっぱりインタビューのときは緊張してたらしい。
当たり前だよね。
僕らが英語でインタビューを受けることを想像してみたらいい。