生島淳『気仙沼に消えた姉を追って』(文藝春秋)を20日に読了した。
3月19日、僕は大阪の松屋町筋にある居酒屋で著者と酒を飲んだ。
気仙沼のお姉さんと連絡のつかないまま8日が経っていた。
生島淳は計画停電などで平時ではない首都圏の緊張感を漂わせながら、
もう覚悟してます、と自分を納得させるように言った。
2月に亡くなったお母さんのことや伊勢にルーツのある生島一族の来歴、
数十年ぶりに電話連絡したという気仙沼の同級生たちの話を聞きながら地酒を飲んだ。
その時、一冊の文庫本を僕にくれた。
吉村昭『三陸海岸大津波』(文春文庫)
明治29年以来、繰り返し三陸を襲った津波の証言を集めた記録文学だ。
こういう本を書きたい、と生島淳は言った。
「聞き書きのようなことが出来ないかな、と思って」
3月11日に気仙沼を襲った津波のことを、現地の人に聞いて回る。
地縁のある自分には可能だし、それを記録するのは自分の役だ、と言った。
ただ、吉村昭の記録文学とは違うものになるはずだった。
彼はかつてその土地で育ち、その地を離れた、同時代の人間で、
間接的に、ではあるが自然災害のもたらす悲劇の関係者でもあった。
こうして書かれた『気仙沼に消えた姉を追って』はドライな記録文学ではない。
極めてウエットな本だった。
生島淳が語る本人や、気仙沼の人々の物語を読みながら、僕は何度も立ち止まった。
生まれた場所を出て、戻らなかった人間として、著者と痛みを共有した。
気仙沼のルポルタージュを読みながら、申し訳ないことに、僕は自分のことばかり考えていた。
あの出来事については自分なりに何か書き残しておきたいと思っていた。
しかし、膨大でランダムな情報はあの日から洪水のように流れては消えていく。
すでに大晦日、僕の手に負えないまま、新しい年になってしまう。
避けて通れないこととは言え、生島淳は多忙な中、この本を書き上げた。
僕も『気仙沼に消えた姉を追って』を読みながら残したメモを頼りに、
読後感想のスタイルを借りて、2011年を、自らのぐるりのことをちゃんと考えたいと思う。
今後、3回くらいに分けて根気よくアップしようと思います。