09/10/31 自宅で休養する。

起床、少しぐるぐるが残っている。
視線をあちこちに動かすとふらつく。
気分は悪くない。
快方に向かっているのだろう。
今日は無理せず自重しておこう。


バラカン先生の『Weekend Sunshine』を聞く。
めまいにはラジオがいい。
今朝はアメリカンロックの特集なのかな。
ジョン・フォガティやニッティ・グリッティやロス・ロボス等々。
後半、箸休めみたいにTony McManusが流れる。
去年、この番組で紹介されて知ったスコットランド出身のギタリスト。
吹田メイシアターのコンサートに行った。
スタジオミュージシャンとしても卓越したテクニック。
このトニー・マクマナスが新譜を出したのだ。
コンサートで弾いたシタールのような音の出る不思議なギターのアルバム。
さっそく、eMusicでアルバムごと購入。
 
     


…朝がゆを食べる。
胃腸にやさしくしておこう。

   


…今年のドラフト会議で懐かしい男を見た。
巨人のテーブルに大森(現スカウト)がいたのだ。
1989年だったか、慶応大卒のスラッガーとしてドラフト1位で巨人に指名された。
上宮高校の元木は巨人に指名されず野茂の外れ1位でダイエーに指名され拒否した。
僕はこの年に『好きやねんジャイアンツ』という番組を担当していた。
大森も元木も取材した記憶がある。
大森は堺に、元木は吹田に住んでいたのではなかったか。
ドラフト1位で巨人に入団が決まっていた大森は物静かな学生だった。
元木と大森は対照的だったから印象に残っている。
大森には妙に醒めたところがあった。
現役引退後は坂本を見いだすなど敏腕スカウトになったらしい。


1989年、20年前のこと。
そういえば新番組のミニ企画で扱ったのが1989年の日本シリーズ
近鉄と巨人、巨人が3連敗のあと4連勝したシリーズ。
大森はあのシーズンオフのドラフトで指名された選手だったのだ。
思えば1989年は激動だった。
その前の1988年も激動だった。
1988は昭和から平成へ、阪急と南海が身売り、バース帰国、掛布引退、ソウル五輪
デービス麻薬逮捕、翌1989に昭和天皇が亡くなり、手塚治虫美空ひばりが亡くなり、
僕は32歳、その年の5月で仕事を全部やめて3ヶ月の自転車旅行に出た。
イングランドアイルランドスコットランドギリシャ…。
『好きやねんジャイアンツ』の仕事を受けたのは帰国後のことだった。
全部20年前。


ロードレーサーユニクロへ行く。
遠くを見て走ればいいが、後ろを振り返ったりすると動体視力がついていかない。
慎重にゆっくりと走ってユニクロへ行く。
部屋着のスエットパンツが欲しかったのだが欲しいタイプが上下セットでしかない。
それでも破壊的に安いのでセットで買う。
ここまで低価格だとどうかと思う。
恩恵に預かって言うのも変な話だが…。
ついでにヒートテックの半袖Tシャツを買う。


ラグビー中継を見る。
ブレディスロー杯、オールブラックスワラビーズ@国立競技場
観衆が44000入った。
ヒロがカッコついて良かったね、と言う。
空席が目立ったらワールドカップ開催の資格なしだ。
漆黒軍団が一枚上手、カンガルーをねじ伏せた。
キッカーのダン・カーターは8の8、強いチームは当たり前のように決めてくる。
オーストラリア国歌を歌ったのはドナ・バークさん。
新幹線の英語アナウンスでおなじみの声、
あの悲しきフォークソング「GOODBYE NAKAMURA」(さよならナカムラ)のシンガーだ。
     
     


…ヒロがバレーの練習から帰宅。
日本シリーズを見ながら豆乳だしの煮こみうどんを食べる。
断酒2日目、胃腸にやさしい食べ物、珈琲も控えている。
夜はフィギュアスケートをヒロの解説付きで見る。
男子は織田、女子は鈴木明子が優勝!


…深夜、図書館で借りた角川ホラー文庫『粘膜人間』を読み始める。
なんとグロテスクでエロくてインモラルで凄絶な話だろう。
いいのか、こんなものを読んでいいのか、と自虐に苛まれながらいっきに100頁越え。